idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

傍観者から当事者へ

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春を待つ(イデちゃん)

 

 「見る・問う→自分で役割をつくる→教育実習――この大きな流れの中で、学生は『自分自身を教員として育て続けるカリキュラム』をつくれるような力を獲得する、そして絶えずカリキュラムを修正しながら実践していくことができる。それが『考える先生』育成プログラムの狙いです」(「自分で役割を作る」2021.11.2マツミナ)

 

 見えてきましたね、なんて言ったら「言い出しっぺが何を無責任なことを」と言われるかも知れません。言い訳をするつもりはありませんが、もともとこのプロジェクトは「曖昧かつ緩やかな枠組み」(「自分を育てるカリキュラムを作る」2021.11.1イデ)の中で始められたもので、最初から「踏み固められた道」(「自分で役割を作る」マツミナ)」があった訳ではありません。

 基本的な考え方はありました。学生が自分で課題を設定し、解決に向けて自ら学び、自身の成長や変化を自分で確認する」「支える側の役割は教えることではなく、学生が学校で大人や子供たちとの関わりを通してどのように変容していくか、そのメタモルフォーゼの過程を見とること」学生自身が自分の変容を確かめ認めていく取り組みを支援する」といった心づもりは持っていました。

 とはいえ、具体的かつ詳細な計画表があったわけではありませんから「学生本人の自由意志に任せ、参観し、気づき、変容していくことは理想であるが、週1回程度の見学を、意図も計画もなしに続けても年度末に変容を期待することは難しい」「養成プログラムのプロトタイプの構築を目指すなら、学生の時間的な効率と効果を考慮し、ある程度の枠組みを設定する必要がある」(S校長)という指摘はこのプロジェクトのこれからを考える上で大切な視点になりました。 

 

 「見る」から「問う」へ、そして「自分で役割をつくる」取り組みへのステップアップは、自分の立ち位置を「参観者」「傍観者」から「参加者」「当事者」へとステージ転換させ、新たな関係の中で「自分自身を教員として育て続けるカリキュラム」を「修正しながら実践していくこと」ができるようにすることが狙いです。

 

 

こうしたプログラムを展開することによって「送り出す大学と受け入れ先の学校が、手取り足取りで導いてくれる」教育実習から、「自分自身を教員として育て続けるカリキュラム」を実践・検証する教育実習へと変えて行きたいという「魂胆」も潜めてあります。  

 「曖昧かつ緩やかな枠組み」の強みは、「学生と一緒に成長していくことができることです」なんて言ったら「自画自賛にも程がある」と笑われるかな。(イデちゃん)