idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

単純な問いほど答えは難しい

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山の温泉は秋のど真ん中(イデちゃん)

 

 「自分の役割を自分でつくり、学校の日常に参加することによって、傍観者から当事者になるってどういうこと?」

 いつもの批判的読者の友人からメールが来ました。

 「学校の日常に参加するっていうけど、授業をしたり生徒指導をしたりするってことなの?」「当事者になるって言われても、学校が困るんじゃないの?」

 

 たくさんの「?」が頭の中を駆け巡ったようです。学校のことを少しは知っている人なら当然の疑問です。「考える先生」プロジェクトは「曖昧かつ緩やかな枠組み」の中で進めるとはいうものの、学校は大袈裟にいえばその対極にあるようなところです。法律や条例・規則等に従う義務があるのはもちろん、校長や副校長、学年・学級、学級担任や教科担任、教育課程や指導計画等、まだまだいろいろな仕組みや約束事があります。だから「曖昧かつ緩やかな枠組み」などと呑気なことを言っていられるような代物ではないことも確かです。「学校ってそんなことできるところなの」と思うのも不思議なことではありません。

 

 そんな見方からすれば「中学校が担っているミッション、組織全体、生徒、先生、保護者、地域との関係を考えたうえで、役割を見つけ出し、さらに自ら実践するのです」(「自分で役割をつくる」2021/11/02マツミナ)という記述に驚かされたのかも知れません。いまさら「そもそも学校にはどんな『役割』があるのか」「それが生徒や先生の日常をどう支えているのか」「必要なのに全くない役割は何か」などと、わかりきったことを持ち出してどうするのと思ったようです。

 でも、さすが批判子、「よく考えてみれば、学校経営改革とか指導法の改善とか難しい用語を使って説明したつもりになっていただけで、改めて問われると結構難しい問いかけだなあ」と思ったそうです。

 

 その通りです。単純な問いほど答えは難しいのです。学生の思いがけない質問が、わかっていたつもりのことや日常の中に埋没して見えなくなってしまったことを掘り返し、考え直すきっかけになるかも知れません。

また一つ楽しみが増えました。(イデちゃん)