idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

バラバラ大学

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とある蕎麦屋からの風景(マツミナ)

 

 先日、ある地方国立大学の教職員や学生と話をする機会がありました。結論から言うと、上層部と教職員、学生の話がそれぞれ乖離していました。大学という一つの組織のメンバーである、とは名ばかりで、みんなバラバラのように見えます。

 

 上層部は、たくさんのシステムを動かし、改革をしている、順調である、と言います。これまでに文部科学省が打ち出してきた教員が教育と研究に取り組みやすい環境づくり、人事評価システム、学生が学びやすい学習環境などを整えているそうです。

 ところが、教員たちは違うことを話してくれます。改革の結果、会議ばかりがやたらと増え、同じメンバーで同じ内容の会議が1日で3回も繰り返されているというのです。定年で退職した教員の補充がされていないため、残っている教員が必死に穴埋めをしていることも明かしてくれました。人事評価制度は、何を基準に誰がどのように判断しているのか、居合わせた教員が誰1人わかっていないことも象徴的でした。黙って聞いているところを見ると、職員もわかっていないのかもしれません。

 学生も困っています。「ゼミの教員が定年で辞めてしまい、その後の教員もなかなか見つからなかった。今は他のゼミの先生が兼務で担当してくれているけれど、その先生も間もなく定年なんです」と窮状を訴える学生もいました。コロナ禍でリモートと対面の授業が混在しているけれど、学内でのWi-Fiはうまくつながらず、相談に行きたいけれど、窓口もない。そんな話をしてくれる学生も何人かいました。

 

 この大学が極めて珍しいバラバラ大学というわけではありません。国立・公立・私立の別なく、執行部と現場の乖離はよくある話です。問題の根幹には、執行部が改革の意味を丁寧に現場に説明していないことがあるでしょう。けれども、そもそも執行部も国が示した改革の趣旨を理解していないかもしれません。わからないことを現場に説明し、あるいは実現することはかなり難しいことです。

 では執行部が悪いのかというと、そうとも言い切れません。そもそも、東京の大きな大学と、地方の小さな大学が同じような改革に取り組むことが無理な話なのです。軋みが出て当然です。その結果、大学の構成員がみんな違う方向を向いて、文句ばかり言うバラバラ大学ができます。大学の体を成していること自体がもはや奇跡かもしれません。

 不満を言いながらも、「ウチの大学は、先生や先輩との距離が近いです」と満足感を口にする学生がいじらしく見えました。(マツミナ)