批判的思考力が芽吹く
「先日の社説に疑問があります」
質問力を磨く(Class Q)の授業中、学生からこんな発言が上がりました。その日のキーワードは脱炭素、持続可能な社会。それに触発されたようです。
問題視された社説は、「仏の原発回帰 脱炭素が後押しした政策転換」(2021年11月22日付読売新聞)。フランスは発電量の7割を原発に頼っていますが、2007年以降新設されていません。それが温暖化による異常気象への不安や、ガス・電気料金の上昇への不満もあって、「国民の間で原発を肯定的にとらえる見方が強まっていることがある」と説明したうえで、最後に日本のこれからについて言及します。
「欧州のような国境を越えた電力網がない日本は、状況はさらに厳しい。フランスの動きを参考に、原発の再稼働はもとより、新設・増設も積極的に検討すべきだ」
学生が疑問を抱いたのはここです。最後にいきなり日本の原発政策に言及するのは唐突すぎると指摘します。「結論ありきだと思います」と学生が話すと、別の学生も「私もそう思う。積極的に検討すべき日本の根拠はどこにあるんだろう」と同意します。
その日のリフレクションシートの中には、別の日の社説についての記述もありました。大阪で3歳児が母親の交際相手に熱湯をかけられて死亡した事件です。
「男の暴力を察知していた母親に、我が子を守るすべはなかったのだろうか。…略…大阪府には、児童相談所に寄せられた虐待情報を全て警察と共有する制度がある。だが、今回は情報が市と児相にとどまり、警察に届かなかった。危機感が共有されていれば、男児の保護や警察の介入につながった可能性がある」。(2021年9月28日読売新聞社説「大阪3歳虐待死 目を覆いたくなる痛ましさだ」)
この社説について、学生は疑問を投げかけていました。
「なぜ母に責任を求めるのか。なぜ家庭内と外という線引きをするのか。制度の話をしているのに、なぜ『危機感が共有されていれば』という感情の問題にすり替えたのか」
学生たちの発言や記述に、心の中でガッツポーズを決めていました。待っていたのです、こういう反応を。
ClassQの開講当初、新聞を開いたことのある学生はほとんどいませんでした。もちろん社説の存在すら知りません。
そうした学生に社説の書き写しを課すのです。量は、授業週数の2倍、15週の授業なら30回。まず音読し、自分の声と耳で意味を大づかみするよう勧めています。次に鉛筆を動かして書き写せば、一言一句を追うことができます。その過程で、違和感が生じるはずと期待していました。
このことを教えてくれたのは、尊敬するA先生です。先行研究として取り上げる誰かの論文は、必ず書き写していたと話していました。相手の論理の問題点が見えてくると話していたのです。
新聞社の社説の問題点が見えてくる、これが批判的思考力の萌芽かもしれません。これからの成長が楽しみです。(マツミナ)