idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

見ないようにしている

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1月7日は亡き母の誕生日。今日は七草粥とケーキで(マツミナ)



 2021年最初の「質問力を磨く(ClassQ)」は、「座間9人殺害 死刑確定」の記事を教材にしました。神奈川県・座間市のアパートで、被告(30歳)がSNSなどで知り合った男女9人を殺害したとする事件です。

 課題の記事を示すと、学生は画面のこちらからもそうとわかるぐらい驚いていました。私が事件や裁判の記事をほとんど教材にしないからです。捜査中だったり、裁判で争っていたりする最中の事件は、冤罪になるおそれをはらんでいます。今回は、被告本人がすでに罪を認め、死刑が確定しています。この事件の被害者は学生と同世代で、学生が無防備に手にするSNSが使われていることから、判決が確定した時点で、当事者意識をもってこの問題を読み解いてほしいと考えていました。だから立場は「被害者の遺族」です。

 ところが学生たちが作った質問は……。明らかに、事件を報じる記事を読んでいなかったことがわかる内容でした。これだけ大々的に報じられているのに、なぜだろう。

 学生たちの答えは明快でした。まず「ミナ先生は、こういう事件記事は使わないから」。こっちの手の内は読まれていたわけか。けれども、次の答えには首を傾げてしまいました。

 

 「殺人の記事は、見ないようにしている。怖いから」

 

 学生たちは『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』『約束のネバーランド』『進撃の巨人』が好きです。どの作品でも、むごたらしく人が殺されています。漫画やアニメは見ても、現実からは目を背けているというわけです。見るかどうかの境界線はどうやって引いているのでしょうか。このアンバランスさをどう理解したらいいのでしょうか。

 

 「親子の間に適度な緊張関係がなくなったような気がする」とイデちゃんは書いていましたね。緊張関係がなくなったのは、親子の間だけでしょうか。現実を「見ないように」すれば、厳しい現実社会への緊張感も生まれないかもしれません。けれども現実は、決して甘くない。ふわふわした心を優しく包んでくれるとは到底思えません。けっこう頑張っている学生だけに、不可解さとその先が妙にひっかかっています。(マツミナ)