idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

論文検証インターンシップ

f:id:Question-lab:20210725210737j:plain

トンボの周りは、涼風が立っているような気がする(マツミナ)


  帝京・上智大学で開講している「質問力を磨く(Class Q)」で、初めての試みをします。「論文検証インターンシップ」。単なるインターンシップではなく、自分の書いた最終課題の論文を検証しにいくのです。

 学期末、学生は二つの最終課題を抱えました。一つはチームでのポスター制作、もう一つは個人での1200字の論文です。テーマは「職種の研究」、今回は営業職限定です。授業に協力してくださるITや食品製造、建築、電気などの8社を取材し、営業とは何かを考えました。どんな人がどのように働いているか、営業職はどのような課題に直面し、どう解決しているのか、営業の魅力とは何か……など多様な観点で問いを立て、取材した内容を踏まえて論じていきます。

 これまでの論文は、書いて提出し、フィードバックを受け、書き直しを指示されることもありますが、そこまでです。学生たちが企業の現実と課題をきちんととらえていたのかどうか、学生はもちろん、私もわかりません。

 でも、それではもったいない。思い込みで書いている部分があるかもしれないし、企業自身も気づかない鋭い観察や分析があるかもしれない。いずれにせよ、自分の知的生産物をしっかり味わってほしいのです。取材に応じてくれた企業と共有したら、企業のお役に立てるかもしれません。そんなドリーミーなことを願っての企画でした。

 企業の方は快諾してくださいました。とはいえ、果たして学生が手を挙げるか? 成績にもかかわらないことに、夏休みを費やすか? 

 

 杞憂でした。

 ポスターセッションが終わった日のうちに、自分の論文を添えてインターンシップを申し込む学生が出てきました。中には、他チームの学生の発表を聞いて興味を持ち、インターンシップに行くために論文を書こうとしている学生もいます。

 

 インターンシップのスケジュールや内容などについては、学生と企業で相談しながら決めていきます。学生が自分の知りたいことに合わせて設計をしたら、どんなインターンシップになるのでしょうか。こちらもワクワクしてきました。(マツミナ)

 

ワクワクしたい

 

f:id:Question-lab:20210724183022j:plain

ウッドデッキに防腐剤を塗りました。暑かったです。(イデちゃん)

 開会直前まで迷走した東京オリンピックが始まりました。開会式の「出し物」は担当者が時間をかけて「練りに練った自信作」だったのでしょうが、私には「わかりにくく退屈な時間」でしかありませんでした。この何とも「居心地の悪い」感覚に戸惑うばかりでしたが「時代遅れの固定観念に縛られた閉鎖的な日本の姿勢」という指摘を読んで「これもその一つかな」と少し納得した気分になりました。

 

 電子技術を複雑に組み合わせ、あれやこれやと手の込んだ仕掛けを操っても、快晴の秋空の下で競技場を埋め尽くした観客の大歓声が生み出した興奮と感激を超えることは不可能でした。57年前の開会式は、近年の大会で見られるようになった不自然なほど「凝った仕掛け」はありませんでした。それでも入場行進をする選手たちを見て「ワクワク」したのは「目の前を歩く選手たちがこれから繰り広げる戦い」への期待が大きかったからではないでしょうか。昨夜、あの人工的な光の中で演じられた「出し物」を見てみて「ワクワク」した人はどれほどいたことでしょう。

 

 なんだか身も蓋もない話になってしまいましたが、これは是非試合を見たいと思う新聞記事を見つけました。リオデジャネイロ五輪で金メダルに輝いた柔道の大野将平選手の話です。

 「毎日『負ける姿』を想像して稽古と向き合ってきた。(略)どうすれば勝てるか、ではなく、どうすれば負けるか。練習パートナーに執拗に隙や苦手を突かせ、『心が折れそうで、苦しい瞬間の方が多い』稽古は爽快感とは程遠い。しかし、大野はそれを『防衛的悲観』と呼んで『勝ち続けるために必要なこと』と受け入れる。(略)『圧倒的な柔道』を誓ったリオから『絶対的な強さ』を追い求めてきた柔道が輪郭を帯びている」(7月24日付日本経済新聞

 大野選手の試合は26日です。退屈な「出し物」より、「真剣勝負」です。「絶対的な強さ」に、今から「ワクワク」してきます。

辞任と解任

f:id:Question-lab:20210723212345j:plain

蟷螂の斧(マツミナ)


 今日はオリンピックの開会式でしたね。その開会式の演出をしていたK氏が解任されました。一連のオリンピック関連の不祥事は、何を物語っているのでしょうか。

 

 海外メディアはこう報じています。

「自信をもって国際的な未来に立ち向かう姿を発信するはずだったのに、我々が目にしたのは、過去の偏見や時代遅れの固定観念に縛られた閉鎖的な日本の姿勢だった」(7月23日付読売新聞朝刊掲載、ロイター通信)

 

 偏見と時代遅れの固定観念。ぐうの音も出ませんね。

 今年2月には、組織委員会の委員長(当時)が女性蔑視の発言をして、辞任しました。翌3月、開会式・閉会式の演出を総括するS氏が、女性タレントの容姿を侮辱する発言をし、これまた辞任。今月に入ってからは障害者へのいじめを雑誌でのインタビューで語っていたO氏、中学時代の担任教員に腐った牛乳を飲ませていた絵本作家N氏が相次いで、こちらも辞任しました。今回は初めて解任です。

 この人たちが侮辱したのは、女性や障害者、担任教員です。全く許せないことをしています。にもかかわらずこちらは「辞任」です。ところが、相手がユダヤ人になると「解任」、途端に厳しい対応をします。これはどういうことなのでしょうか。

 

 これを教室に置き換えて考えましょう。

 

 学級委員のMくんが言いました。「学級会で女子が話に加わると、長引くんだよね」。担任の先生が耳打ちしました。「ちょっと言い過ぎたかもね」。Mくんはふてくされて言いました。「僕はもうやめるよ」。

 クラスのムードメーカー、Sくんが同級生の女子の体型をからかいました。担任の先生は、こちらもそっと注意しました。Sくんも「オレもやめる」。

 音楽係のOくんは、障害を持つ同級生をいじめ、その事実を学校新聞に書いていました。偶然読んだ担任の先生は、またもや耳打ちしました。Oくんは言います。「オレはやめる」

 図書委員のNくんは給食の時、担任の先生に腐った牛乳を飲ませました。お腹を壊した先生はしばらく休まざるを得ませんでした。やっと教室に戻ってきた先生は、それでもやんわりと注意しました。Nくんは逆ギレして「マジうぜ、やめる」。図書委員をやめました。

 クラスのもう1人のムードメーカー、Kくんもある子をいじめました。ところが、この時ばかりは、担任の先生が校長先生と一緒にすっ飛んできて怒りました。「君はこの学校からすぐに出ていきなさい。もう戻ってくるな」。Kくんがいじめていたのは、ヨソの小学校の子どもだったのです。

 

 クラスの他の子どもたちはその時理解しました。いじめたり、からかったりするのなら、ウチの小学校の子に限る。ヨソの小学校の子を相手にすると、話がややこしくなるんだなあと。

 

 オリンピックって、こんなに醜いものだったのですね。全く認識不足でした。明日からもオリンピックを見るつもりはありません。(マツミナ)

捲土重来

f:id:Question-lab:20210722191310j:plain

威風堂々

 久しぶりに気分が良くなりました。大関照ノ富士横綱昇進です。「怪我や内臓疾患で一度は大関から陥落し、序二段から横綱まではい上がった不屈の闘志」(7月21日付東京新聞夕刊)が高く賞賛されています。私も異論があるわけではありませんが、彼の「闘志」を支えたものは何だったのかと考えました。相撲は格闘技ですから闘志が萎えたら勝負になりません。闘志を支え続けた何かがあるはずです。

  照ノ富士を駆け出しの頃から近くで見続けてきた友人によれば「序二段に落ちても諦めることなく、次の場所には幕下に、来年までには幕内にと復活の目標を定めて、体調を整え力を蓄えて辛抱強く番付を上げてきた」そうです。

 「不屈の闘志」を支えたのは「置かれた状況を冷静に判断し、自分を信じて倦まず弛まず努力した賢さと冷静さ」だったのではないでしょうか。横綱昇進の伝達式での口上で「何事にもぶれない精神を持って頑張っていきたい」と述べた言葉は地味ですが、四文字熟語を使った口上とは一味違った「横綱の覚悟」が滲んでいて、身についた「賢さと冷静さ」を感じました。「捲土重来」という言葉に相応しい快挙です。

 

 いい話の次は「お化け」の話です。「手柄は独り占めにしたいけれど、失敗の責任は被りたくないと考えているのでしょうか。でも、いずれ分かります。大会が成功すれば誰かさんが得意顔で自分の手柄にし、何か混乱が起きれば、みんなで決めたことだからと頰被りするはずです」(「決めるのは誰?」2021-07-08)と書いたばかりですが、早速現れたようです。「デジャブ」(既視感)という「お化け」が。

 例のO氏事件は本人が辞退して、とりあえず収められるような感じですが、お粗末なのは「O氏に決めたのは私ではない」という事務総長のコメントです。「いろいろな人が関わる中で決定されたのであって、直接私が選んだわけではない」と言いたいようですが、こういうのを「語るに落ちる」というのでしょう。全くお粗末で、これこそ「何か混乱が起きれば、みんなで決めたことだからと頰被りする」見本のような話です。

 「ほらね、言ったでしょ、いずれわかると」と得意顔をしたいところですが、開会式前から始まったソフトボール女子サッカーの試合の様子を報じる新聞やテレビを見ているとスイッチはオリンピックに切り替わったようです。2匹目の「デジャブお化け」が出そうな感じですね。(イデちゃん)

 

品性も知性もない

f:id:Question-lab:20210721210221j:plain

人を笑顔にするお菓子。品性もある(マツミナ)

 五輪関係者が、またもや行事への出演辞退に追い込まれました。今度は「東京2020 NIPPONフェスティバル」に出演予定の絵本作家N氏。

 新聞報道によると、中学生の頃に腐った牛乳を担任の先生に飲ませたり、専門学校時代に授業のやり方に腹を立て、「今度会ったら殺すぞ、テメエ」と女性教員を恫喝していたり。しかもそのことを自伝に書いていたようです(7月21日付読売新聞朝刊)。オリパラ楽曲担当のO氏に続いての辞任です。

 

 海外から来日している選手も、妙な行動をしています。事前合宿で大阪にいるはずのウガンダの重量挙げ選手が行方不明になり、三重県内で見つかったとか。「日本で仕事をしたい。ウガンダには戻らない」とメモを残していたそうです。

 

 「品性は能力に優先すると思いませんか」とイデちゃんは問いかけていましたね。それを聞くのなら、「品性という言葉を知っていますか」かもしれませんよ。いや、知らないのは「知性」かな。そもそもがむちゃくちゃです。緊急事態宣言で国民に不自由を強いながらオリンピックを強行するのですから。科学技術立国を名乗りながら、科学者たちの助言を無視してまで。(マツミナ)

品性は能力に優先する

f:id:Question-lab:20210720183519j:plain

樹齢45年。今年もよく咲いています(イデちゃん)

 なんとまあ こんな暑さも 平年並み(お粗末様でございます)

 

 10年ぶりに天気の基準改定が行われ、気象情報の「平年並み」の中身が変わるそうです。近年の地球温暖化の影響で平均気温の平年値は、全国的に0.1~0.5度上昇しており、これからの「平年並み」はこれまでの「平年並み」より高くなるということです。「平年並み」に騙されてはいけません。

 

 「いじめ」の過去が問題視されていた件のOさんが、オリパラ大会の音楽担当を降りることになったそうです。当然と言えば当然ですが、気になったことを整理しておきましょう。それは「過去のいじめ」と「いじめの過去」の違いです。

 事件が報じられた当初は「過去にしたいじめ」を問題にしながらも、「過ぎたこと」として「現在のOさん」から切り離し、「誰でもあること」と一般化して論ずる人がいました。しかし、「いじめ」の内容があまりにも酷かったことから、「たとえ昔のことでも許せない」という意見が多くなり、謝ったからといって「すんだ話」にはできないという流れが形成されていったように思います。

 

 私は、こんな酷いいじめを行い、それを自慢げに話すOさんの「過去」は「現在」とどのように繋がっているのだろうかと考えました。Oさんは「いじめの過去」、つまり「酷いいじめをした自分の過去」を現在までどのように抱えてきたのでしょうか。「深い後悔と責任を感じております」とコメントしていますが「後悔したのはいつか」「責任を感じたのはいつか」と改めて問いたくなります。「こんな騒ぎになったから後悔したのか」、そして「何に対して責任を感じたのか」と尋ねたいのです。

そして、Oさんの能力を評価して続投させたいと言った方にもお尋ねします。「品性は能力に優先すると思いませんか」。

 

 結局、本人の「責任をとって辞めます」という一言で、何もなかったかのように事は片付けられ、お祭りは始まるようです。

 「呪われたオリンピック」(麻生財務大臣 2020年3月18日 参院財政金融委員会)になりませんように。(イデちゃん)

議論の厚み

 

f:id:Question-lab:20210719215445j:plain


 「質問力を磨く(ClassQ)」の学期末を飾るポスターセッションを開きました。テーマは再び職種の研究で、今回は「営業職」限定です。5、6人が1チームとなって、ITや食品、建設など協力企業8社のどこかを取材し、それぞれの特徴や課題を、模造紙一枚のポスターとして表現するという内容です。評価項目はあらかじめこちらで決めて、採点は各社にお任せしました。点数の多寡よりも、自分たちの課題を読み取るきっかけにしなさい。評価とはそう使うものだよと、学生に何度も伝えておきました。

 

 企業によって評価がわかれるだろうと予想していました。ラクタンの先生とそうでない先生がいるように。ところが実際は、同じ会社を取材した2チームが最高点(8点)と最低点(-12点)を記録しました=写真=。

 一体何が差を広げたのか。インタビューを受けた企業の社長や学生自身の話から、どうやらチーム内の議論の厚みが道を分けたようだとわかりました。

 8点チームは毎日1時間、必ず集まって議論をしたそうです。しっかり煮詰めた質問は「企業全体をつかみ、そこから営業の役割を見極めようとしていた」と社長が納得できる内容でした。そこでのやりとりがポスターに生かされています。同社で使われているヘルメットをモチーフに、あえて句読点を全て外した「詩」のような文章で、活気ある社内の空気感を出そうと工夫していました。

 一方の-12点チームは、正反対の道を歩いてしまいました。話し合いの時間も取れず、それぞれが気になっていることをバラバラに質問したようです。当然、社長は「この人たちは何を知りたいのだろう」「どういうポスターになるのやら」と首を傾げながらインタビューを受けました。

 このチームに限らず、点数の低いチームはどこも議論ができなかったようです。「議論は怖い」と尻込みする学生も少なくありません。「議論は勝ち負けではない。積み重ねなんだよ」と説明してくれた企業人もいました。

 

 大人もろくに議論をしていません。その結果、緊急事態宣言下でのオリンピックなんてマネをしているぐらいですから。でも、これは反面教師だからね、と声を大にして伝えていきます。(マツミナ)

 

知性の欠如

f:id:Question-lab:20210718230326j:plain

夏到来。ベランダ菜園のミニトマト(イデちゃん)

 梅雨明けと同時に猛烈な暑さになりました。今日はこれまで増え続けていた渋谷や新宿等の人出が減少したとTVが報じています。そりゃそうでしょう。この暑さの中で、外に出る気にはなりません。緊急事態発令より、ずっと効き目がありそうです。夜になっても気温は下がらないようですから、迎賓館とかで「お集まり」なんかしてないで、「お家の中」で静かにしていた方がよろしいかと思いますが。お年寄りも多いことですから。

 

 東京五輪の開会式の音楽を担当するOさんという人物が、25、6年前の学生の頃、酷いいじめをしていたという報道がありました。クラスメートや近隣学校の障害のある生徒をいじめていたことを、自ら雑誌に投稿していたそうです。

 TVのバラエティ番組では「訳知り顔」の面々が「こんなひどいことをするような人にオリンピックの開会式の音楽を任せるのはけしからん」とか、「誰だって昔のことをほじくれば問題と思われることがあるはず」などと、やかましく意見を交わしていました。

 

 本人は事実を認め「深い後悔と責任を感じております」とコメントしています。開会式への関与については「不快な印象を与えてしまうことを心から申し訳なく思います」としているようですが、「それで、どうするの?」と尋ねたいです。まさか「反省したから、もういいでしょ」とでも言いたいのではないでしょうね。

 

 今朝の東京新聞(7月18日付)に、来年4月に行われることになったフランスの大統領選挙に関する記事が載っていました。特派員は「視察中に市民に平手打ちされた現職大統領」か「支持率が下がった対抗勢力の極右政党代表」の「2択しかない閉塞感」の中で、「平手打ちした男がネット上で賞賛される事態になっている」ことに、歴史学者のニコラ・ルブール氏が「知性が欠如した現代を象徴している。大統領選までに社会の空気が好転する要素は見出しづらい」と嘆いていると紹介していました。

 

 「よその国のこと」と笑っているわけにはいきません。国は酒の販売事業者に対し、酒の提供停止に応じない飲食店との取り引きを行わないよう要請しながら、反発の大きさから西村担当大臣は一夜にして撤回しました。誰もが馬鹿げた話だと呆れ返りましたが、菅総理大臣は「私は聞いてない」とほっかむりを決め込み、途中段階の報告を受けた麻生財務大臣は「放っておけ」と知らんぷりしました。その想像力の乏しさと感性の鈍さは今夜お集まりになる方々や「いじめ」のミュージシャンも大して変わりません。「知性が欠如した現代を象徴している」と世界から笑われますよ。(イデちゃん)

コロナ下の歓迎会

 

f:id:Question-lab:20210717203804j:plain

濁った池に根を張っているのに。涼やかできれいな花(マツミナ)


 オリンピック・パラリンピック組織委員会が18日夜、IOCのバッハ会長らの歓迎会らを迎賓館で開くそうですね。NHKが報じていました。日本側からは菅首相組織委員会の橋本会長、女性蔑視発言で辞任した森前会長らも出席するとのことです。

 新規感染者数が国内外で増加しています。その中での五輪というだけでも相当、野蛮な行為です。世界の人々がどれほどの不安と嫌悪感で日本を見ていることやら。そのうえ、歓迎会まで。どこまで愚行を重ねたら気が済むのでしょうか。

 

 本日(7月17日)、「質問力を磨く(Class Q)」の最終発表会「ポスターセッション」を開きました。テーマは営業職の研究です。学生はチームを組んで、ITや食品メーカー、建設業など8社のうちから1社を選び、当該企業の営業職の特徴や課題などを取材し、1枚のポスターにまとめます。どのチームも例外なく苦戦していました。まず企業に提出する企画書を書こうにも、メンバーの時間調整がうまくいかず、集まれない。集まっても議論にならない。何とか集まったメンバーで書き上げた企画書を見て、これまでの話し合いに参加していなかったメンバーが異議を申し立てて振り出しに戻り…。

 

 苦労しながら、やっと迎えた最終発表の場でした。詳細は後日お伝えするとして、今日印象に残ったのはこんな場面です。

 初めてのポスターセッションを終えてご機嫌の1年生がチームリーダーの4年生に言いました。

 「先輩、発表うまくいきましたね。今日、打ち上げしましょうよ」

 これに対して4年生は厳しい表情でさとします。

 「ダメに決まってるでしょ、緊急事態宣言中だよ。もし何かあったら、Class Qのみんなと大学に迷惑をかけるでしょ」

 1年生は神妙な顔つきで「そうですよね」。

 

 この学生たちの爪の垢を進呈します。18日夜の歓迎会に参加される全ての方々に。(マツミナ)

真剣勝負

f:id:Question-lab:20210716212228j:plain

アガパンサスの花粉を集めに来たミツバチ

 「何回留年した学生でもかまわない。しっかり学んだ人だけを出してほしい」という要望は、その企業が採用したい人材像が明確で、「学んで身につけた力」に対する期待が大きいことの表れだと思います。

ところで、なぜ「入社後に大学で学んだことを試験」するのでしょうか。これは結構、意味深な仕組みのように思います。もちろん採用した「学生の能力」を確認するためではありますが、それだけではないはずです。入社後に試験をすることによって、採用時の評価が適切であったかどうか、つまり「人事担当者の評価能力」も測られることになるからです。採用試験、特に面接試験を「受験者と面接担当者との真剣勝負」などということがありますが、「採点する側」も採点されるわけですから当然のことです。

 

 「日本の大学は評価が甘い」という指摘は以前からよく聞かれるところです。文科省も看過できないと見ているようです。

「これまでの我が国の大学に対する評価の中に、大学では適切な卒業認定が行われておらず、学部卒業者として期待される教育内容がきちんと身に付いていない場合があるのではないかとの指摘があります。大学は人材養成の役割を担うことから、そうした指摘を受けることがないよう、学生に対して教育目標を明示し、その目標に向けた計画的な学修を可能とする環境を提供した上で、適切な成績評価・卒業認定を行うことにより、学生の卒業時における質の確保を図るという充実した教育活動を行うことが、大学の社会的責務として求められています。」(「大学における教育内容・方法の改善等についてQA文部科学省H P

 

 さて、学期末を迎え、受講学生の課題提出状況を前にミナ先生は苦悩しています。「一定の量をこなして初めて成績評価の対象にすると明示」し、「授業中にもその旨を繰り返してきた」にもかかわらず、最低基準の回数をクリアーしていない学生の評価をどうすべきかと。

 「何回留年した学生でもかまわない。しっかり学んだ人だけを出してほしい」という要望に応えるためには厳しく評価した方がいいことはわかっています。一方で、「何のために回数を指定したのか」、その意図が学生に十分伝わっていなかったのではないかという思いもあるようです。

「学生に対して教育目標を明示し、その目標に向けた計画的な学修を可能とする環境を提供した上で、適切な成績評価」をすることは簡単なことではありません。

 学生の指導に真剣に取り組む先生ほど、学期末の苦悩は大きくなることと拝察いたします。(イデちゃん)

何のために

 

f:id:Question-lab:20210715210548j:plain

抜け殻を残して、トンボは今頃どこを飛んでいるかな(マツミナ)

 本日(7月15日)夜7時のNHKニュースによると、東京都の新型コロナ感染者数は1308人。2日連続で1000人超えです。朝夕の通勤ラッシュは相変わらず。日中の街中では、マスクをしていない人までいます。ワクチン接種をした人なのでしょうか。昨年、緊急事態宣言が出された時の緊張感はありません。

 人の行動を規制するには、目的の共有が必要です。今回の緊急事態宣言で政府が繰り返している言葉は建前に過ぎないと、露見しているのでしょう。

 

 政府のことを批判できないぐらい、私も「目的の共有」に頭を悩ませています。授業の課題は何のためにあるのか。私はどれほど学生たちに伝えられたのか…。

 「質問力を磨く(Class Q)」では、2種類の課題に取り組むよう学生に求めています。社説の視写(書き写し)と、自分の選んだ新聞記事を使ってコンセプトマップを広げ、そこから質問を書き出すことです。

 今年度は最低基準の回数を明示しました。社説とコンセプトマップを毎週2回ずつ。つまり15週の授業が終わる頃には、それぞれ30組の課題が仕上がっているはずです。論理的な文章を書く、問いを立てる、そのトレーニングには量をこなすことが大事です。「書く」「読む」を生活に織り込む。しかもゴールがわかれば、そこから逆算して計画を立て、ペース配分もできるようになると期待していたのです。

 量をこなすうちに、質にも目を向けられるようになります。そのためにシラバスにも、一定の量をこなして初めて成績評価の対象にすると明示しました。もちろん、授業中にもその旨を繰り返してきました。

 

 今、学期末を迎えて直面しているのは、計画的にこなせた学生と、数をこなせかった学生が混在している現実です。私は何を伝えられたのか、伝えられなかったのか。考えています。(マツミナ)

劣化の上積み

 

 

f:id:Question-lab:20210714202232j:plain

朝どり早稲田茗荷今年の初物(イデちゃん)

 「うわずみ」の「劣化」ですか。ということは「うわずみ」の下に沈んでいる「沈殿物」は「くず」ということになるのでしょうか。いえいえ、どうして「葛粉」のように器の底に溜まった白い粉が大切なものもありますよ。とんだ「くず」違いでした、なんてふざけている場合ではありません。「人材の劣化」は由々しきことです。

 

 「面接対策がバッチリ。面接者も聞きほれるような対応ぶりのようです。考え込むような問いを出しても、なんなくすっと答える」ということですが、採用試験、特に面接試験に向けた対策の「行き過ぎ」は企業の採用試験だけに限ったことではありません。あえて「行き過ぎ」と書いたのは長年、教員の採用や管理職の任用人事に関わってきた私の実感です。徹底的に練習を繰り返し、滑稽なほどステレオタイプ化した回答をする受験者を相手にしていると、たまには意表を突く意地悪な質問をしたくなることもありました。

 

 それはさておき、最近は教員採用試験準備のための「塾」があると聞きました。「お辞儀の仕方」や「椅子にかけた時の手の位置」「質問の聞き方」や「答え方」などは序の口で、「面接会場の待機場所での振る舞い方」などというのもあって「面接は会場についた時から始まっています。いつどこで誰が見ているかわかりません。待機している時も気品のある態度で」と教えるのだそうです。ほんまかいな。

 確かに今の学生は「礼儀がなっていない」(今に限らず半世紀前の学生も同じことを言われたけど)から、それくらい指導しないと受からないと心配する気持ちもわからないではありませんが、肝心の「専門知識が身に付いていない学生」の外面磨きを手助けすることになるようでは「うわずみの劣化」どころか「劣化の上積み」になってしまいます。

 

 以前「『このままでは教員の必要数が不足する。この際、採用試験を簡単にして誰でも教員になれるようにすべきだ』という主張が新聞に載る日が来ないとも限りません」(2021-6-1「採用試験のレベルを下げろ?」)と書きましたが、「うわずみの劣化」がさらに進めば、教員の質の低下を防ぐために「小中学校の教員採用も『日本人学生にこだわらない』で、海外の優秀な人材を積極的に採用しよう」という声が大きくなるかもしれません。臨時的に任用された外国人の非常勤教員に優秀な人材が少なくないことはすでによく知られているところです。それとも、「優れた『日本型学校教育システム』を支えていく」ためには、やっぱり「日本人の先生」でなければダメなのでしょうか。(イデちゃん)

「うわずみの劣化」の先に

f:id:Question-lab:20210713222402j:plain

そこから何が見えますか(マツミナ)

 先日、ある大手企業の人事責任者から大学への注文を聞かされ、驚きました。

 「何回留年した学生でもかまわない。しっかり学んだ人だけを出してほしい」

 同社では、入社後に大学で学んだことを試験しているそうです。その成績が年々低下していることから、こんな発言になりました。この企業が採用しているのは、人事責任者の言葉を使うと、世間的に「うわずみ」と呼ばれる学生層です。それでも、年々「劣化」を実感させられるとは。

 

 もちろん、質問しました。入社後に頭を抱えなくてもいいように、採用時にきっちりふるい落とせばいいのではないですか。

 人事責任者いわく、今時の学生は面接対策がバッチリ。面接者も聞きほれるような対応ぶりのようです。考え込むような問いを出しても、なんなくすっと答える。回答集が出回っているようだと見ています。発表をさせても上手で、パワーポイント資料などは企業人顔負けの出来だそうです。

 問題は、大学の成績評価があてにならないことです。これは痛いところです。担当教員が甘ければ成績評価は上がります。企業が学生が提出する成績証明書の裏を探ることは難しいでしょう。その結果、専門知識が身に付いていない学生を採ってしまいます。

 

 この企業の幹部が「日本人学生採用にこだわらない」と公言しているのを何度か耳にしています。海外の拠点に日本人を連れて行くよりも、現地で採用した方が手間がかからない。何よりも、地元コミュニティーに人脈があるから、ビジネスをしやすいのだそうです。

 

 幹部が「日本人学生にこだわらない」と言い、現場が「うわずみの劣化」を指摘していたら、いつかこの企業は「日本人学生を採らない」と打ち出すかもしれません。それを他企業はどうみるでしょうか。その時、日本の大学、いえ、学生はどうなるのでしょうか。(マツミナ)

  

 

おじゃま虫になった教員免許更新制

 

f:id:Question-lab:20210712173906j:plain

嵐の去った後に(イデちゃん)


 「教員免許更新制」廃止の方針、私も
「そうですか」と簡単に納得する気にはなれません。「30時間以上の講習や3万円ほどの受講料が教員の負担となっている」のが理由だそうですが、何やら胡散臭さを感じるのです。

 第一次安倍政権のもとで教育再生実行会議が鳴り物入りで進めた制度です。英語の民間試験活用の議論の時、「身の丈に応じて」と言い放って不興を買った方が、教員の「30時間以上と3万円」廃止の理由に掲げているのですから、眉に唾でも付けたくなります。

 

 そもそも「教員免許更新制」制定の目的は「不適格教員の排除」にあったと言われています。当然、「何をもって不適格とするのか」が問題になりました。「指導力不足」の教員を不適格とするだけでなく、教育委員会や校長の意に沿わない教員を排除するための制度ではないのかという指摘もありました。議論の末、「不適格教員の排除」を目的とするのではなく「その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すもの」(文科省)ということになったのですが、内容が役に立っていると考える教員が半数にも満たないような講習で「自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得る」のはムシが良すぎたようです。

 

 教員は、免許更新があろうとなかろうと「社会の尊敬と信頼を得る」ためには不断の「研究・修養」が必要です。教育基本法第9条には「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」と規定されています。さらに、教育公務員特例法第21条では「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」と重ねて研修が義務付けられているのです。

 同法第24条では「公立の小学校等の教諭等の任命権者は、当該教諭等に対して、その在職期間が10年に達した後相当の期間内に、個々の能力、適性等に応じて、教諭等としての資質の向上を図るために必要な事項に関する研修を実施しなければならない」と定めています。

 これだけ法律で「研究と修養」が義務付けられているにもかかわらず、屋上屋を架すような「教員免許更新制」が必要だったのは、やはり「不適格教員の排除」にあったのではないかと勘ぐりたくなるのも人情というものです。

 

 これほど無理して作った制度を、なぜ萩生田文科大臣は廃止すると言い出したのでしょう。もしかしたらこの制度が邪魔になったのではありませんか。教員不足を補うために「ペーパー免許教員」の掘り起こしが必要となり、10年間現職を続けた教員に30時間も研修させる根拠が薄くなりました。また、免許状を持っていなくても優れた知識経験等を有する社会人を教員として採用しようという取り組みも活発です。今後の教員養成や教員免許取得の弾力化等、民間と提携した新たな「教育人材市場の開拓」に向けた動きも見られます。そのためにはこの際、お邪魔虫になった制度を「働き方改革と教員の負担軽減」という美しい理由で葬ってしまおうと…。下衆の勘繰りですかね。(イデちゃん)

コウシン講習

f:id:Question-lab:20210711101256j:plain

ただいまコウシン中!(マツミナ)

 今朝、善福寺川沿いをカルガモの一団が行進していました。よちよち歩きのヒナの時から見ていた母子10羽です。元気よく闊歩するその姿に、朝から胸が熱くなりました。カラスや猫、蛇などと戦う武器もないお母さんが、よくぞここまで。好き勝手に動き回るヒナたちを見守る姿が印象的だったからこそ、見事な行進に拍手です。

 

 今日は「コウシン」に縁があるようで、帰宅して広げた読売新聞は、教員免許コウシン制度の廃止を政府が固めたことを報じていました。政府は、教員にとって手間がかかる割に、「資質向上の効果が低い」と判断しました(7月11日付読売新聞朝刊、14版)。

 

 確かに手間のかかる制度です。10年ごとに教員免許を持っている人は、大学などで開かれる更新講座に申し込みます。費用は教員の自己負担。そこで30時間以上の講習を修了し、その後に教育委員会に申請してやっと更新完了です。昨年3月末が免許期限の教員のうち99.43%が講習をうけていたようです。

 

 もともとは問題教員の排除に端を発していました。だからこそ政府としては「目的は、不適格教員の排除ではない」と躍起になって喧伝していたのかもしれません。問題を見つけた、とりあえず何かしなくちゃ、という場当たり的な政策の匂いがします。教員の何が課題で、それは何に起因していて、その結果、子どもの学びがどうなっているか…という実態調査に基づいた制度設計ではないと見ています。

 その結果の廃止にしても同じです。「手間をかけても、ダメな先生はやっぱりダメだった」というのなら、更新講習では、誰が何をどう教えていたのか、講習自体に問題がないことを明らかにしないと、廃止の理由にはなりません。

 

 そして、この先についても同じことが言えます。

 「文科省は、頻繁に実施できる各教委の研修を充実させ、教員の質向上を図る方針だ。情報通信技術を活用して教員の研修履歴を記録・管理し、個人の特性に応じた内容とすることを検討している」(7月11日付読売新聞朝刊、14版)。

 各教委の研修の実態を調査したのでしょうか。それをどう「充実」させたら、「教員の質向上」につながると見たのでしょうか。場当たり的な対応ではないという説明を求めたいです。この続きはきっとイデちゃんが書いてくれるでしょう。

 

 そう考えていくと、気になるのは冒頭のカルガモのお母さん。一体どうやってこれだけたくさんのヒナを“一人前“にしたのでしょうか。可能であれば、お母さんに「コウシン」講習の講師をお願いしたいです。(マツミナ)