idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

どうなる・どうする

 

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 本日は映画「燃えよ剣」を観てきました。全編を通して、主役・土方歳三を演じる岡田准一と殺陣の格好よさが際立っていました。その中で奇妙に耳に残ったやりとりがあります。

 病床の沖田総司が見舞いに来た土方に「どうなるんでしょうか」と尋ねます。激動する時代、新撰組の行方に関する問いだったように記憶しています。これに対して土方は答えます。

 「『どうなる』は、婦女子の言葉だ」。男子たるもの、「どうする」と問うべきだと。

 「婦女子の言葉」は全くいただけないけれど、言いたいことはわかります。「どうなる」には主体性がない。時代は自然に発生するものではなく、自分たちで作るものなのだ、という強い自負と意欲があふれていました。

 

 学生はしばしば「どうなる」を口にします。世界の変化やその中での日本の地位といった大きな「どうなる」もあるけれど、それと同じぐらいの頻度で出てくるのは自分の将来への「どうなる」。その一言が出てくるたびに、質問します。あなたの将来なのに、自分では何もできないの、誰かが作ってくれるのかと。すると学生は必ずと言っていいほど、こう返してきます。「だって、自分には何の権限もないし、力もないから」。では、マララさんはどうかな、ただの女の子だったね、となおも問い続けます。「自分に何の力があるのかな」と学生が言いはじめたらしめたもの。投票できるよね、たかが1票、されど1票。あなたには力があるんだよ。ここまで重ねると、学生もやっと「そうかなあ」と自分の持つ力を改めて考える学生も出てきます。

 

 本日は投票日でした。10月31日20時現在、自民党が単独で過半数を取れるかどうかはギリギリと報道されていました(NHKニュースから)。国会議員10期も務めたベテランが、野党統一候補に敗れた選挙区もあったようです。1票が何かを動かそうとしているのでしょうか。「どうなる」が「どうする」に変わっていく兆しなのかもしれません。(マツミナ)