idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

屋根のない学校の出番

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寒気再来で、見事な霜柱(イデちゃん)

 

 自動車学校は「運転の仕方」を教え、実際に「運転できる」ようにする所です。「そのうちにできるようにならあ」などと、呑気なことは言ってはいられません。できるようになるまで教えなくてはなりません。

小学校では跳び箱の跳び方は教えますが、仮に跳べなくても「小学校ん時にできなくたって、大人になればできるようになることだってあらあな」と言っていられます。跳び箱跳べなくても死にゃしません。道端に跳び箱が置いてあったら避けて通ればいいのですから。

「子どもに跳び箱を跳ぶ意味をきちんと説明し、理解させる」ことは簡単ではありません。学習指導要領には書いてありますが、跳べない子や跳びたくない子には「強制」に聞こえるだけです。履修制のよさは「やったつもり」「わかったつもり」「できたつもり」で終わらせることができることです。「そのうちできるようになるよ」という手形には決済日が書いてありません。教える先生もできない子やわからない子もそれで救われます。

「そんな無責任な」と目くじらを立てる筋もあるでしょうね。でもそういう人にも身に覚えがあるはずです。跳び箱飛べなくて大人になって何か不自由しましたか。算数だって国語だって同じです。「因数分解なんてなんの役に立つんだよ」ってほざいたことありませんか。小学校の時にできなくたって、大人になればできるようになることはたくさんあるし、できなくても困らないことも沢山あるでしょ。

高校受験や大学受験はどうするかって。小学校の時にちゃんと教えてくれなかったから、受験で苦労するなんていうのはいいわけですよ。必要になったら勉強すればいいでしょ。思い立ったら吉日です。同学年の人より遅くなってもいいじゃないですか。

ミナさんは「平行四辺形の面積の計算では、早く正解にたどり着くよりも、補助線を引く面白さを学ばせてほしい」のに「時間がきたからハイ次」では、それができないではないかと疑問を呈し、「義務教育ですべきことは勉強の仕方を学ばせることだとしたら、履修制では限界がある」と言いますが、修得制にすれば解決するというわけでもありません

平行四辺形の面積は「底辺×高さ」の式で求められます。式を教えて、例題が解ければ「平行四辺形の面積の求め方」を修得したといえます。「補助線を引く面白さや考える楽しみ」は無用です。できるようになればいいからです。あれこれ試行錯誤し、汎用性の高い求め方(公式)に近づいていく学びができるように授業を組み立てることは履修制でも可能です。

日本の公立小・中学校は年齢主義を取っており、年齢によって所属する学年が決められています。「学びの場が工場のベルトコンベアーにしか見えない」のは履修制のせいではなく年齢主義によるものです。6歳になるとみんな同じ列車に乗ります。途中で降りたら次に乗るときは一年遅れの列車に乗るしかありません。それでは同じ年齢の子は同じ時期に同じことを学ぶ年齢主義が壊れ、国の教育制度が揺らぎます。だから乗っていてくれないと困るのです。

 

でも、履修制も年齢主義も終わりを迎える時が近づいています。高速通信網の整備と遠隔教育の推進、ICTを活用した多様な学習や専門性の高い授業の実現により、「誰でも」「いつでも」「どこでも」学べるようになったら、いつでも学びたい時に、学校でなくても学べちゃいます。同じ年齢の子どもが、同じ教室に集められて、「その年齢ですべき」同じ内容の学習をするのではなく、「何歳でも、今学びたいこと」を学ぶことが可能になるでしょう。

「屋根のない学校」の出番です。(イデちゃん)