スイッチを入れられる人と入れられない人
スイッチの入る時を待つ。イデちゃんが書いている通りです。「その気になるように働きかけ、学びを支援する」に徹することは、「質問力を磨く(Class Q)」でも大事にしています。
ところが、学生によって受け取り方が全く違うのです。秋学期の授業評価アンケートを読み、今日も頭を抱えています。
〈br〉な授業。課題が多すぎる。授業の最後には履修者が半分になっていたが、私も一般教養の単位数が足りていれば、履修中止していた。もし、後輩や同輩がこの授業を取ろうとしていたら薦めない。2単位にしては、精神的負担が大きい…。
〈br〉はブラックの略のようです。課題が少なく、優しい先生を求めていることがわかります。
こういう学生が少なくないので、シラバスの1行目には必ず「ラクに単位を取れる授業ではありません」と明記しています。特に上智大学では毎回、希望者が10倍を超えるため抽選になり、その結果、シラバスも読まないで履修する学生が少なくないのです。
自分の力不足を痛感しています。どうしたらこういう学生の学びを支援できるのでしょうか。
でも一方では、自らスイッチを入れられる学生もいます。
ただ知識を得るだけの一方的な授業ではなく、アウトプットに重点を置いて、同時に人生の指針になりうる大事な考え方を身につけようとすることができた。”知る”のではなく、自分から悩んで考えて、”体得”した方がはるかに定着がよいこともわかった。声もとても聞きとりやすくて説得力があった。教材や課題は多くて手に負えない部分もあったが、きちんとこなせば必ず力がつく。
先日、帝京大生が秋学期の最終課題を提出してきました。これで3度目で、秋学期の成績評価も出ています。いつも通り自分で音読してもらった後、1時間近くやりとりし、書き直すことになりました。このやりとりを学生はこうふりかえっていました。
「私は、指摘されたことだけを考えて書いた。でもそれは私の論文にならないことがわかった。私の言葉で書けるようになりたい。何度でもやり直して、少しでも進むんだ」
この春卒業する上智大生からは、こんなメッセージをもらいました。
「大学は交流の府。異なる大学や社会人とClass Qで学んだ。私の一生の宝物だ。4月からも時間を作ってClass Qに参加したい」
私もへこんでいられません。(マツミナ)