idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

卒業式

 

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30年前の卒業生に配った記念樹の花海棠。満開です(イデちゃん)


 「考えないことは怖いことだと、窓口お嬢がいつかわかってくれるといいなあ」と願うのは、私もミナさんと同じ。だけど「余計なことは考えるな」と教えられて育った呪縛を解くのは大変だろうな。複雑で自動化されたシステムは個人の考えが入り込む余地がなくなり、想定外の異変や異常が発生した時にはハングアップします。原発事故の時の東電の対応が典型ですね。個人が考え判断することは初めから想定してないのですから当然でしょう。手動に切り替えて対応するためには高度な知識と熟練を要します。コスパを考えればそんなことに金と時間をかけられません。余計なことはしない方が安く済むと思うのは浅知恵。結局は高い買い物になるのですが、先に立たないのが後悔ですから。

 

 昨日は近隣の小学校で卒業式が行われ、式を終えた何組もの親子に出会いました。母親より大きくなった少年の背に負われたランドセルが、大木に止まる蝉のように見えました。チェックのスカートにローファーが似合う女の子もいます。進学する中学の制服なのでしょうか、ちょっと大人びた姿が素敵でした。

 

 そういえば最近、卒業式に振袖を着る子供が増えてきたと聞きます。当日は朝早くから着付けをしてもらって式に備えるのですが、まだ子供のことですから途中でトイレに行きたくなって担任を困らせた、なんて笑えない話もあるようです。八丈島の小学校では卒業式に黄八丈を着るそうです。島の歴史が織り込まれた衣装をまとって卒業証書を受け取る時、この島の未来を支える人になれと願いを込めて着せてくれた黄八丈の重みを感じることでしょう。

 

 東京大学総長の卒業式告辞を読みました。歴代の総長の業績をたどり、これからの東大のあるべき姿を訴えています。コロナ禍によって欧米の大学が「世界を席巻してきた、学生を顧客ととらえる市場原理に基づく大学経営モデルに大きな疑問符が打たれ、経営モデルの転換を必死に模索している」中で、東大が主張してきた「グローバルな公共財としての大学、社会の変革を駆動する大学という高い目線で大学を新たな経営体とするという構想は、世界から新鮮な理念として受け止められ、輝きを放ち、評価されている」という自負から始まり、「事物の理を究めて知恵を深め、その共有を基盤に多様な人びとと力をあわせ、共感のもとでより良い社会を創っていく」ことを意味する「究知協創」という自作の4文字熟語を紹介し、「今後人類共通の課題に対して積極的に発信する『知のプロフェッショナル』の仲間として、皆さんとともに歩んでいきたい」と呼びかけています。

 大学商売の顧客ではなく、「知のプロフェッショナル」として生きよというメッセージを卒業生はどう受け止めたでしょうか。

 テレビで「東大王」とかいって、薄っぺらな知識の量を競っている東大生に伝わったかな。これから大学を目指す小中学生がモデルにして欲しくないと思うのは東大にいけなかった凡才のひがみですかね。(イデちゃん)