idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

難解というより難題と読む

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朝の定期便(イデちゃん)

  昨日、ミナさんが紹介していた大臣の諮問文、読めば読むほど難題ですよ。

 〈教師に求められる資質能力については,これまでの中央教育審議会における答申においても,使命感や責任感,教育的愛情,教科や教職に関する専門的知識,実践的指導力,総合的人間力,コミュニケーション能力等が挙げられているところであり,令和3年答申においては,これらの資質能力に加え,ファシリテーション能力,ICT活用指導力等が挙げられているところです〉

 〈教師という職業が,ICTを駆使しながら,個別最適な学びと協働的な学びの実現を通じ,全ての子供たちの可能性を引き出す創造的で魅力的なものであるという姿を描き出しつつ,各学校種・教科等を横断して全教師に求められる基本的な資質能力を,「何ができるのか」という観点も踏まえ,できるだけ具体的に明らかにしていただきたいと思います〉

 

 「こんな先生がいい」「あんな先生がいい」と、井戸端でおしゃべりするのとは違います。<全教師に求められる基本的な資質能力をできるだけ具体的に明らかにしていただきたい>という諮問を受けて、答申される教師像が「おばけ」みたいな、「超人」みたいなモデルにならないか心配になってきました。そんな「スーパーマンみたいなセンセイ」をほんとに育成できるのでしょうか。無理難題という方が合ってるかもね。

 

 中教審文科省が「期待される教師像」を描き、教育委員会(採用する側)が具体的なモデルを示せば、養成する大学(採用してもらう側)は示された条件に合わせて教育しなくてはなりません。今でさえ満杯状態の教員養成課程のカリキュラムがさらに厳しくなりそうです。

 ある大学の先生が話していたことを思い出しました。

 「教員養成課程の学生はやらなくてはならないことがたくさんあって、余計なことをやっている暇がないのです」「なんとか枠にはめ、形にして採用に結び付けないといけない」

他人事ながら「大変だなあ」と嘆息しましたが、それでいいのだろうかとも思ったのです。多くの人の心に残る「いい先生」は、概ね「枠にはまらない」先生のような気がします。話が脱線したり、教科書にないことを教えてくれたりとか、気持ちに余裕があって、人情味もある先生といった感想をよく聞きます。

 

 世の中が世知辛くなり寛容さがなくなってきたようで、先生や学校への期待や要望が厳しくなりました。脱線や無駄は許されなくなり、効率とコストが重要視されます。<ICTを駆使しながら,個別最適な学びと協働的な学びの実現を通じ,全ての子供たちの可能性を引き出す創造的で魅力的な>先生が求められる時代の到来です。

 

 お尋ねします。「教員の質の向上に向けて、教育大学や教育学部における免許取得を中心とした現行の教員養成システム(新卒中心)から、様々な経験や学びを持つ民間企業等経験者が子どもの学びに関する専門性(子どもの心身の発達・学習の過程等)を追加的に学べば、教壇に立てる開かれたシステムへと抜本的な転換を図ることを検討すべき」という指摘は「教員養成系の大学や学部は当てにしない」と言っているように聞こえませんか。(イデちゃん)