idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

連休明け恒例の、考えない「ワケ」

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連休明けの空は明るいけれど(マツミナ)

  毎年、連休明けのこの時期になると、授業中の発言やリフレクションシートなどに「できないワケ」が目立ちます。入学、進級時の緊張感や意欲が薄れて、精神的に緩んでくるからでしょうか。「やってみます」ではなく「できない」、さらには「できないのが普通」と一般化する記述まで出てきます。

 

 例えば、今日の「質問力を磨く(Class Q)」では、よく使うけれど変な言葉を紹介しました。「安心安全を目指す」「整理整頓しなさい」、それから文科省が大好きな「資質能力の向上」。「知っている」「聞いたことがある」で納得していたら、質問はできません。思考を広げるには、「よく見るけれど、これでいいのかな」と考えるきっかけにしてほしいのです。

 

 それに対し、ある学生はこう書いてきました。

 「みんな普通に納得していることだ。私たちはそういう世界にいるのだから仕方がない」

 なんだろう、このあきらめ感。これでは学ぶ意欲は起きないでしょう。どうしたものか。

 

 Class Qでは毎週金曜日、図書館スタッフに来てもらい、質問を広げるための本を紹介してもらっています。今年度は精読・熟読・速読というハイレベルな読書ではなく、本が読みたくなるように「1行読書100字書評」から始めます。タイトルと本文1行目だけで100字の書評を書くのです。限られた情報を読み取り、そこから発想を広げて「書評」を書く、という形で読んだものを表現する。みんな個性あふれる書評を描いてくるはずです。お互い見比べたら面白いし、「この本は本当はどういう物語なのだろう」と思ってもらえたらしめたもの。そんなことを企んでいます。

 

 「面白い」と取り組む学生がいる一方で、こんなコメントも出てきました。

 「1行から広げた100字の書評は空想や想像を含んでいて、一冊を読んで書いた書評に勝るものではない」

 勝敗の問題にしてしまうのか。なんだかな…。

 「質問しないのは、恥ずかしいから」。そんな素朴な理由を書いている学生ももちろんいます。

 

 一方で、こうした仲間の姿に腹立たしさを募らせる学生もいます。

 「他人任せな人と一緒にワークをしなければならない。他の人がやっていることに目を向けず、自分に順番が回ってくると、『できません、わかりません』と逃げる。なぜそんなに甘ったれているのか。そういう人間にどうしたら自主性を持たせられるのか。私の一生の課題になりそうだ」

 

 「できない、わからない」と言い募る人はどこにでもいます。それでもこの学生はそういう人に「自主性」を持たせようとしているのです。それを「一生の課題」として捉え、考える学生はこれまでは見たことがありません。仲間を育てようとする学生が出てきているのです。

 弱音を吐いてはいられません。(マツミナ)