目のつけどころ
散歩の途中で山法師の木の枝に、鳩の巣を見つけました。まだ雛は小さいようで姿は見えません。私の気配を察知したらしく、親鳥がさーっと巣を離れ、木の上の方から警戒していました。驚かしてごめんなさいね。
そういえば、近所のお宅の雨戸の戸袋の隙間から、小さな鳥が頻繁に出入りしているのを見ました。中で巣作りが進んでいることでしょう。そのうちに雛が顔を出すかもしれません。人間たちはコロナ禍の中で縮こまっているけれど、自然界は豊かに生きているようです。
「考える先生」に向けて修業中の学生、T君は面白いところに目をつけたようです。
5月も半ばを迎え、学校は新学期の慌ただしさが収まり、日常のリズムに戻りました。でも「小学生が着ているような服の1年生」は「授業準備が遅れがち」で、彼の目には1年生が幼く見えたことでしょう。それに対して「2年生は流行を取り入れている子が多く」「授業準備も素早い」と感じたようですが、先生たちの目にはどのように映っているのでしょうか。同じ光景を見ても、見る人の立場や経験、見る位置によって見え方が違います。どんなふうに見えているのか聞いてみるといいでしょう。
もしかしたら「毎年、4月、5月頃の1年生はこんなものだ」と慣れた目で見ているかもしれません。それとも「今年の1年生はちょっと幼稚だな」なんて思っているかもしれませんよ。
2学期、3学期にかけてどのように変わっていくか、成長・変化の過程をしっかり看取ってください。大学で学ぶ「児童心理」や「青年心理」の臨床版です。
もう一つの「若手の先生の方が授業の工夫がなされていた。授業評価アンケートでも、若手の先生の方が評価は高かった。『3年目まで』と区切るべきではなく、授業評価の低い先生を指導すべきではないか」という疑問はなかなか手厳しい指摘です。
「新任=未熟」といった見方は確かに観念的な部分があり、必ずしも新任教員の全てに当てはまるわけではありません。指摘の通り、長いこと現職であっても指導力に「?」がつく教員もいます。そういう場合はどうしたらいいのでしょうか。実はそういう場合はどうするかという仕組みは既にあるのですが、教えてあげません。あなただったらどうしますか。
まだ、3回しか訪問していないのに、いろいろなことに目が向き始めました。疑問や驚きを大切にして、どんどん視野を広げてほしいと願っています。教育実習では得られない学びがたくさんあるはずです。(イデちゃん)