idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「人生案内」で考える  

f:id:Question-lab:20211014235544j:plain

今日のコーヒーは妙に苦い(マツミナ)

 

 我が家の朝の会話は、しばしばこの一言で始まります。「今朝の人生案内はどうだった?」 人生案内とは、読者から寄せられた相談に学者や作家らがコメントする読売新聞朝刊の人気コーナーです。

 昨日話題にあがったのは、30代の男性会社員からの相談でした。彼は裕福な家庭の一人っ子として育ち、両親の望み通りに就職し、結婚し、今では子どももいます。ところが、相談者はゲイ(男性同性愛者)で、社会的な対面を保つために上司から紹介された女性と結婚したのです。妻と知り合う前から相談者には彼もいます。「彼といる時だけが私らしくいられる時間。彼と別れるのは家庭を捨てるのと同じくらい、私にとってつらいこと」と書いています。 

 さすがにこのままではいけない、「自縄自縛」だと思い、どうしたらいいのか方向性を示してほしい、という相談です。

 端的に言えば、不倫の相談です。だから、こうした相談では、回答者は概して蔑ろにされている妻(あるいは夫)に謝罪するよう厳しく書いていました。ところがこの日の回答者はなぜか歯切れが悪い。「あなたにはいろんな選択肢がある」「まずは自分の本音を見つけ出さないと、自縄自縛を解くことはできない」と相談者に同情的とすらとれる内容を書いています。妻については「このまま真実を知らされないのはあんまりかと思います」。最後まで妻に謝罪するよう求める言葉は出てきませんでした。

 相談者がLGBT性的少数者)であるというフィルターが、判断を鈍らせたのでしょうか。社会的に肩身の狭い思いをしている人は、他者を蔑ろにしてもいいのでしょうか。その根拠は何でしょうか。他の事例に当てはめても、そうした理論は成り立つでしょうか。妻や子どもはこの人生案内を読んだら、どう受け止めるでしょうか。

 「質問力を磨く(Class Q)」の学生に考えてもらうことにしました。来週発表の宿題です。「妻」「相談者本人」「子ども」の三者になりきると、どのような問題が浮かび上がるか。性的少数者をめぐる社会の現状、倫理学、法律を踏まえて考えてきてください、と伝えています。

 学生は真剣な表情で記事を読んでいました。(マツミナ)