idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

真鍋博士が日本に帰りたくない理由

f:id:Question-lab:20211015202926j:plain

峻峰剱岳を望む 立山天狗平より(イデちゃん)

 

 今年のノーベル物理学賞を受賞することになった米国プリンストン大学の真鍋淑郎博士は、受賞の知らせを受けて行われた記者会見で「なぜ国籍を変更したのか」という質問に対して「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」と答えたそうです。

今朝、某テレビ局のワイドショーがこれを取り上げていました。記者会見での博士の回答を整理したフリップが用意されていました。

フリップには概ね次のようなことが書かれていました。

・「日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築く」

・「他人を邪魔するようなことは一切やらない」

・「日本人が『はい』と言うとき、必ずしも『はい』を意味するわけではない」

・「他人の気に障るようなことをしたくない」

 

 件の「私はまわりと協調して生きることができない」という発言は会見の最後にされたということです。会場の笑いを誘ったというこの発言を記者たちはどう理解し、なぜ笑ったのでしょうか。

 ワイドショーでは、何人かのコメンテーターが「博士はなぜ日本に戻って来ないのか」ということについて、それぞれの立場から意見を言っていました。コメンテーターは博士がアメリカに行ったことに対して肯定的な意見を言っていましたが、「会場の笑い」について触れたものはありませんでした。 

 

 私はこの最後の発言は「他人の気に障るようなことをしたくない」という博士の謙譲の気持ちを表したものではないと推測しました。会見の場には日本人の記者もいたはずです。彼らも外国人記者たちと一緒になって笑っていたのでしょうか。博士の「日本人が『はい』と言うとき、必ずしも『はい』を意味するわけではない」という発言を聞き逃していたのでしょうか。博士の高尚なアイロニーに気づかず、同調して笑っていたのであればお粗末な話です。

 

 「なぜ、アメリカを研究の本拠地にしたのか」という問いも「なぜ日本に戻らないのか」という問いも大して違いはないように聞こえますが、「戻らない」にはより強い意志が働いているように感じます。

 「調和を重んじる」ことが優先され「まわりと協調して生きること」を強要される日本に戻りたくないという博士の訣別の言葉を、笑って誤魔化してはなりません。これは「『主体的な学び』の重要性が指摘され、小学校から大学までの授業は変わったはずです。でも、学生が相変わらずテーマ設定に困っている現実」(2021.10.6「卒論のテーマをください」)の底流にあるものと根が同じだからです。(イデちゃん)