idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「先生に勧められた」結果、どうなったか

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博多塀。戦禍による焼け石や焼け瓦を塗り込んで作られたそうだ。あるものは何でも使う、仕上がりも美しく(福岡市・楽水園で、マツミナ撮影)

 イデちゃんの言うとおり、先生の総数を増やすことができれば、次は「質」を問うことになりますね。ここ十数年、教育現場を取材してきた身としては、待ってましたというところです。

 

 気になる一つが、進路指導です。問うべきなのは、進路指導にあたる先生の「質」なのか、指導法の「質」なのかわかりません。けれども、道に迷い、あるいは道から外れた若者たちが、自分の状況の根底に「先生の勧め」があると話していたことが、引っかかっているのです。

 たとえば、ある大学中退者。非正規の職場を転々とし、収入がないために30歳を過ぎても実家から独立することができない状態だとか。今も中学・高校時代の同級生の姿を見ると、電信柱の陰に隠れるそうです。日々の苦しさを語るその人に、そもそもなぜ大学に進んだのか、なぜその大学かと尋ねました。答えは「先生に勧められたから」。

 国立大学の医学部5年生の一言もインパクトがありました。将来、何科に進んだらいいのかわからないと悩んでいたその学生に、なぜ医師を目指したのかと問いました。するとこちらも「先生に勧められたから」。理数系の成績がよかったので「医学部に行きなさい」と勧められたそうです。少子化で公立、私立の別なく存続が危ぶまれています。医学部に進んでくれれば、高校の進学実績が上がり、受験生も増える…。先生の思惑が透けて見えるようです。

 第一志望の大学に入ったのに、「こんな大学に来たくなかった」と感じている学生の存在も気になります。そうした学生たちの話を総合すると、どうやら先生は模試の合格判定で「合格確実」でないと第一志望として認めてくれないようなのです。合格実績もあるでしょうが、浪人を嫌う生徒と親たちの存在が重くのしかかっているのでしょう。

 

 いずれの事例にしても、親たちの問題は否定しません。最終的に判断したのは自分自身のはずです。それでもやはり、「先生は教育のプロではないのか」という疑念を禁じ得ないのです。

 進路選択という重要な場面に、先生はどれほどの熱量をかけて臨んでいるのでしょうか。そもそも先生たちは、進路指導は熱量をかけるべきものと考えているのでしょうか。それとも、進路指導は先生の仕事ではないのでしょうか。(マツミナ)