idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

選手と監督のやりとり

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春遠からじ(撮影・マツミナ)

 

 正月といったら、箱根駅伝。2日間、テレビ画面に釘付け、ひたむきに走る選手の姿から目が離せませんでした。今年もドラマでしたね。伝統校を押しのけて若いチームが往路を制したり、復路10区、ゴール前2キロの地点で大逆転があったり。

 けれども今回、何より目を引いたのは、選手と監督のやりとりでした。「オラオラ、何やってんだよ」「ペース落ちてるぞ、意地を見せろ」――選手後方の車から監督の怒鳴る声が何度も聞こえました。え~?そんな言い方するの? 意地を見せろって言われても、選手はヘロヘロじゃん。走るのやめたって投げ出したらどないすんねん…と、つい親戚のおばちゃんのように心配してしまいました。

 すると意外にも、どの選手も淡々とした表情で片手を挙げて応えていたのです。笑顔で返す選手すらいました。ああ、そうか、信頼し合っているんだ。箱根駅伝を制するという大きな目標を共有し、苦楽をともにしてきたのだ。他人が心配する必要なんて微塵もない。ああ、うらやましい。

 こんなやりとりが急に気になったのは、私自身が学生とのやりとりに困っているからです。

 

 今、学生たちにチラシを作ってもらっています。入学前教育の「質問力を磨く(ClassQ)」に参加する高校生を募るためです。どんな授業なのか、自分たちはそこで何をどう学んでいるのかをふりかえるチャンスになると考えました。締め切りは1月4日です。

 ところが学生の1人が、締め切り前日の今日、「パソコンが壊れて間に合いません」と連絡してきました。元日に故障したため、修理に出したくても店が開いていない。友達に借りようとしたら、連絡がつかない。手書きではとてもできそうもない。悩んだ末、学生は「どうせ自分はダメです。もう私のことは放っておいてください」と投げ出してきたのです。

 今回に限らず、困難にぶつかるたびに「どうせダメだ」と諦めようとする学生が目につきます。その度に、情けないことに私まで考え込んでしまいます。解決策を提示してあげたい。でも、それでは自分で考えないようになってしまわないか。困難にぶつかるたびに、他人頼りにならないか。一体、どうすることが、学生の成長につながるのだろうか…。

 

 昨日のイデちゃんの記述を思い出しています。

〈「教える」「教わる」ことに馴染んだ教員と生徒に、「教えない」「考えよ」「自ら目的を設定せよ」「正解は一つではない」ことを納得させるのは容易ではありません。〉

 「教えない」で、待つ。学生自身が自分の抱えている問いに解決策を見つけるまで。確かに、容易ではありません。何しろこちらに胆力が必要です。選手たちを怒鳴り飛ばせる監督たちは、こういう時にどうするのでしょうか。(マツミナ)