idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「書く力は重要じゃない」と子どもは見抜いている

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庭のミカン。今年は豊作(マツミナ)

 初めての大学入学共通テスト2日目が終わりました。緊急事態宣言下でのテスト、受験生や大学関係の皆さま、お疲れ様でした。

 当初案に盛り込まれていた「記述式」が見送られての実施は、やはり残念です。「書く力」の重要性を教育現場に伝える一石になると期待していたからです。新聞記者として全国の大学を取材していた当時から、学生たちの「書く力」に危機感を抱いていました。 

 書いてきた経験が乏しいのは、文字を見ればわかります。小さくて薄く乱暴な字が目につきます。

 説得力のある論理的な文章であれば、文字の拙さは目をつぶります。けれども、何を言いたいのか最後まで読んでも理解できなかったり、最初と最後が全く違うことを書いていたりすると、文字の乱暴さと相まって、残念さが増幅されます。

 文末を「思う」でまとめる表現が続くのも、学生の特徴の一つです。頭の中が整理できていないのでしょうね。書き慣れていないので文章が単調になることへの懸念もないようです。「断定口調は、読む人に対して失礼になるような気がする」と解説してくれた学生もいました。

 タイトルで目立つのは「◯◯についての考察」。中には「最終課題」と題した論文もありました。タイトルは中身よりも重要です。読者は、タイトルに魅力がなければ読んでくれませんから。

 こうした現実を目の当たりにするたび、中学や高校の校長たちから聞いたことを思い出します。「生徒たちに文章を書かせ、添削できるほどの余裕がない」と口を揃えていました。

 東京都内のある中学校長からは、国語教員が一人しかいないと聞かされました。1年から3年までの全生徒を一人でみるのですから「課題図書は出せても、生徒が書いてきた感想文を見ることはできない」そうです。配置できる教員数は限られていて、受験科目の習熟度別クラスなどを手厚くしたい。日本語は母語だから、みんな大丈夫だということにしたようです。同様の事情を抱えた公立中学校は他にもたくさんあるそうです。

 

 〈大人がなにを重視しているか、子どもたちは敏感に察知する。何かが大事でないことを見抜いてしまえば、子どもたちが努力しようとする見込みはない〉(1997年、米国の教員組合報告から)

 海の向こうでも同じようですね。大人が「書く」を重視しなければ、子どもも努力しない。その結果の今です。書かないことが、思考、とりわけ質問力とどう関係してくるか。イデちゃんはどうお考えですか。(マツミナ)