idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「コスパの悪い授業」

 

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桜餅がたわわに実ってたら、いいなあ(マツミナ)

 学びの場の空気を変えるのは、学ぶ人自身の内発的なもの。エネルギーと呼んでもいいかもしれませんね。それがまっすぐ発散されれば、先生や学校、国が「そのうちできるようになるよ」で空手形を乱発しても、怖いものなしのはずです。

 ところがそうはいかないのですよ、悔しいことに。邪魔してくるのは、これも学ぶ人に内在する「コスパ感覚」です。かけた時間や労力、負担に見合う結果を得られるかどうか。それを実際にやる前から見極めようとしてくるのです。「入学準備教育」として始まった「Class Q」でも、高校生の口から出てきました。

 「課題をやると、どんなメリットがありますか」

 時間をかけたのだから、メリットは当然あるんですよねという思いが言外ににじんでいます。そういう質問が出ても、全く驚きもしませんでしたよ。全然珍しいことではないですから。

 「Class Q」では毎学期、履修辞退者が出ます。「この授業はコスパが悪い」と言われているそうです。週1回の一般教養科目で、2単位(帝京では週に2回あるから4単位)。4年間で124単位以上をとって卒業しなくてはいけない学生にとって、2単位ごときで新聞を読まされ、授業外に「社説の書き写し」だの「コンセプトマップ」なんて課題をさせるのは「コスパが悪い」以外の何者でもないというわけです。

 

 コストパフォーマンスという言葉を初めて新聞で見たのは1989年、平成元年のことでした。売上高を基準にしたランキングを紹介した記事でした。

 「89ヒット商品ランキング 使いやすさに軍配 1位はインテグラ」(1989年12月22日付読売新聞)。

 左右開きの冷蔵庫なども10位以内にランキングされていました。三菱総研がその結果をこう分析していました。「際立った高級志向が影をひそめ、コストパフォーマンスを考える落ち着きのある消費文化が育っている」。略語ではないことが、まだ一般的な用語ではないことを示しているようです。

 株価暴落の前夜、不況が慢性化する時代でしたから、価格と価値が釣り合っているのは当たり前、安くて見栄えが良く、使い勝手がよかったらもっといい、ということなのでしょうね。読売新聞のデータベースを見ていると、昭和時代には一つもヒットしなかった「コストパフォーマンス」がこの後、急増していきます。今の学生たちが生まれたのは、その後。きっと家庭の食卓でも違和感のない単語の一つとして使われるようになっていたのでしょうね。

 

 高校生の質問に対し、学生はなんと答えたか。続きはまた次回。(マツミナ)