idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

自分を見つける

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夜の木蓮と電波塔

 3月13日の「スイッチの入る時を待つ」で、久我山小学校の学校だよりを紹介したところ、「1月号の『自分をさがす』を読まれて」とあるが、それは何かという問いをいただきました。順番が逆になってしまいましたが、学校だよりの1月号の記事を紹介します。

 

 「新しい世紀の幕開けを間近に控え、これからの教育の在り方について、基本的な考えがまとめられました。その中に『教育は自分探しの旅である』という指摘があります。これはどういうことなのでしょう。年の初めに来し方を振り返り、行く末について思いを巡らすことも一計かと、『自分探し』について考えてみることにしました。

 覚えていますか。少し前、ベストセラーになった『ソフィーの世界』という本を。あの『あなたはだれ?』という問いかけを。決して易しくはない哲学書が多くの人々の心をとらえたのには訳がありそうです。

 これまで一途に発展を求め、豊かな生活を手に入れたものの、ふと気がついたら自分の生きる目的が見えなくなっていた。自分自身のイメージがあいまいになり、自分が何者であるかを証明するものがない。『あなたはだれ?』と問われて『私は何?』と自問しても答えを見出せず、豊かさの中で途方に暮れてしまった。そんな解説をした人もいます。

 いうまでもなく、私たちは社会を作り、その中で生きています。周りの人々との関係を抜きにして自分という存在を説明することは困難です。『あなたはだれ?』という問いかけは、『世の中の煩わしいこととは関わりたくない。私は私。』という今様の生き方に対して、やんわりと、しかし直截に答えを迫ったのではなかったかと、私は考えました。

 長いこと学校にあって、子どもたちが人との関係を通して成長していく過程を見てきました。それは協力し対立し、教え教えられ、心も体もぶつけ合って、自分や相手の痛みを知り、自らを見つめ確かめるという作業の繰り返しです。『自分探しの旅』とは、きっとそういう営みのことを指すのでしょう。

 子ども達が『自分』を見つけ、大きく豊かに育んでいくことのできる学校であり続けたいと願っています。」

(学校だより1998年1月号巻頭言『自分を見つける』杉並区立久我山小学校)

 

 私たちが進めようとしている「考える先生を育てる」プロジェクトの中心にある考え方は「教えることではなく、学生が学校で大人や子供たちとの関わりを通して、どのように変容していくか、そのメタモルフォーゼの過程を見とること」です。そして、学生自身が自分の変容を確かめ認めていく取り組みを支援することです。それは、「子どもたちが人との関係を通して成長していく過程を見て」きてわかったことと同じだなと思います。(イデちゃん)