idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

変なオリンピック

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さあ、来い。思い切って投げて来い(イデちゃん)

 東京オリンピックが終わりました。「国民の安心・安全を守る」という「当たり前の事」を開催国の首相がわざわざ強調し、大会開催関係者が「陽性率の低さは安全な空間が確保された一つのエビデンスだ」(8月8日付東京新聞)と胸を張るオリンピックって何だったのでしょうか。新聞には連日生まれる金メダリストを賞賛する見出しが踊っていましたが、獲得したメダル数の一覧表と急増する新型コロナウィルス感染者数の一覧表が同居する紙面は、現実の不条理を象徴しているように見えました。

 

大会中、選手たちは様々な表情を見せてくれました。最終日の男子マラソン大迫傑選手が前走するランナーを捉えた時の睨むような目の力に、男子柔道の大野将平選手に感じた強さと共通する「心の強さ」のようなものが感じられ、鍛えあげられたアスリートの精神の強靭さを見たような気がしました。

 

1956年にメルボルンでオリンピックが開かれました。小学校4年生だった私はメルボルンからの実況中継を、父が使っていた真空管式のラジオで聞きました。このラジオには父がプロ野球のナイター放送を聞くために短波受信器が取り付けられており、メルボルンからの短波放送を聞くことができたのです。

男子水泳の自由形では日本の山中毅選手とオーストラリアのローズ選手が熱戦を繰り返し、手に汗を握る思いで聞きました。短波受信器がとらえるメルボルンからの放送はとても聞きにくく、電波の状態によって音が大きくなったり小さくなったりして、まるで寄せては返すさざ波のように聞こえるのです。でも、遠く南半球から、海を越えて飛んで来る電波を聞いているのだと思うと、何だかとても興奮したことを今も覚えています。    

 

たとえ無観客であっても実施する、何が何でもと決まった時を境に、何年もかけて取り組んできた「オリンピック教育」は寄る方を失い、押し付けがましい「おもてなし」も色褪せました。挙句に「防止の呼びかけと五輪のお祭りムードが矛盾したメッセージとなり、人々に危機感が伝わらない要因となっているとの指摘がある」(8月8日付東京新聞)という主張に対し、(バッハIOC会長は)「五輪が間接的に感染拡大に影響してという主張には、数字的な裏付けがない」(同紙)と退け、(IOCのコロナ対策専門家は)「五輪で人々の気持ちが緩んだという『科学的な根拠はない』」(同紙)と嘯く始末です。

大会の意義や目的はどこかに置き忘れ、批判と自賛の応酬に終始するのを横目に見て「しめしめ」とほくそ笑んでいる「誰かさん」がいるかもしれませんね。ほんとに変なオリンピックです。(イデちゃん)