idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

マッチングアプリで先生募集

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天高く 柿実る 秋(イデちゃん)

 

 「『採用試験のレベルを下げろ。教員採用倍率の低下が止まらない。文科省が公表した調査結果によれば、2019年度教員採用試験の倍率が全国平均で4.2倍、小学校では2.8倍にまで落ち込んだ。少人数学級の増加により教員の需要数は増える一方だ。このままでは教員の必要数が不足する。この際、採用試験を簡単にして誰でも教員になれるようにすべきだ』。こんな記事が新聞に載ったらどうしますか」(2021.6.1「採用試験のレベルを下げろ!?」)

 

 自分で書いておきながら、「こんなこと、あるわけない」と思っていたのですが、何やら怪しくなりましたね。福岡市が2022年から導入するという「公立小中学校などの教員採用で、筆記試験と面接を省く新たな採用方式」が「採用試験を簡単にして誰でも教員になれるようにする」ための呼び水にならなければいいのですが。

 

 一方、文科省は「民間企業に所属しながら、学校現場での勤務を経験する企業と学校等を繋げ、企業で働く社会人等が企業に所属しながら学校に参画する機会を創出する『学校雇用シェアリンク』を創設・運営する」(「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について関係資料)ことを考えているようです。

コロナ禍で利用者が激減し仕事がなくなった航空会社の室内乗務員などを、外国語や接遇指導等の補助教員として学校に派遣したりしているのは、その先取りということなのでしょうか。 

 

 この「学校雇用シェアリンク」の運営は誰がどのように行うのか気になります。業者が請け負って「いつでも、誰でも、会社を辞めないで学校の先生になれます」などと呼びかけ、マッチングアプリを使って募集し、評価・判定はAIが行うなんてことになるかもしれません。

 

 「民間人などを対象とした茨城県教委の校長選考試験で、5人の採用枠に対し、国内外の1400人以上から応募が寄せられている。倍率は280倍超で、応募者数は昨年度の40倍以上。1020代からも応募があるという人気ぶりだ。転職サイトを通して幅広く周知、募集する新たな形が奏功した」(2021929茨城新聞

 

 こんな記事を読むと、その日が来るのも遠くないのではと思っています。(イデちゃん)

 

劣化のツケは誰が負うのか

 

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茶番の後は、スイーツで立て直し(マツミナ)

 

 自民党総裁選が終わり、下馬評通りの結果になりました。「モリ・カケ・サクラ」問題があろうが、安倍前首相が強かったということでしょうか。河野氏パワハラ疑惑が祟ったということでしょうか。菅首相が後継指名した候補者が落ちたということは何を意味するのでしょうか。自らが退いて推した候補が落ちたということは、石破さんの人気はこんなもの、ということでしょうか。さまざまな読み方ができる結果です。いずれにせよ、驚くべき結果ではありませんでした。

 

 これに対し、昨日イデちゃんが書いていた筆記試験も面接もなしでの教員採用は、驚くべきことです。ずいぶん前に報道されていたのですね。うっかり見逃しておりました。

 

 福岡市は公立小中学校などの教員採用で、筆記試験と面接を省く新たな採用方式を2022年から導入する。代わりに教育実習の評価と大学の推薦だけで採否を決める方式は全国でも異例。教員のなり手不足を背景に、適性のある学生を確保する狙いがあるが、専門家は学生を評価する基準のあり方を課題に挙げる」(2021年4月18日朝日新聞デジタル

 

 今の採用試験が「教員の質」を保証しているかどうかは、意見の分かれるところでしょう。ただ、教育実習の評価と大学の推薦だけで採用するかどうかを決めるとなったら、現状の「質」すら担保することは難しいかもしれません。

 そもそも、教員養成の現状に問題があると見たからこそ、今年3月、文部科学大臣中央教育審議会に教職課程の見直しを諮問したはずです。答申も出ないうち、つまり問題のある現行の教職課程で育った教員でいいとするわけですから、相当な危うさを覚悟して採用を決めるということです。

 報道によると、推薦は県内15大学に限定しているそうです。なぜ県内限定なのでしょうか。それとも、問題教員だった場合、出身大学に文句を言いに行けばいいやということでしょうか。

 もし、問題教員だったら、出身大学に文句をつけることが前提であるのなら、まだ救いようがあるように思います。製造物責任を問われるのは、大学にとってはいい学びの機会になります。教育を見直すことを迫られるからです。

 では、そんな教員を押し付けられる子どもたちにとって、いい学びの機会になるのでしょうか。心配なのはその点です。

 劣化のツケは、劣化させた当事者たちだけが負うわけではない。これは恐ろしい現実です。(マツミナ)

貧すれば鈍する

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ひまわりも 頭を垂れる 彼岸過ぎ(イデちゃん)

 

 お粗末なコロナ対応や「モリ・カケ・サクラ」の田舎芝居を見せられて「政治の劣化極まれり」と思った人も多いのでは。そういえば政治の劣化をもたらした要因は「国会議員の世襲化」と「小選挙区制」にあるという指摘をどこかで読んだ記憶があります。親の選挙地盤を引き継ぐことによって安定した支持を得られることや小選挙区制によって現職の公認が優先されることなどから、地盤や看板を持たない新人が国会議員になることが難しくなり、有為な人材を得られなくなっているというのです。世襲が繰り返されることによって「政治家の劣化」がもたらされ、とどのつまりは「政治の劣化」につながっているということでしょうか。

 加えて、対抗勢力としての力を持たない野党や「忖度」に明け暮れる高級官僚たちも政治の劣化に大いに貢献していると言えるでしょう。そういう状況に「ノー」と言わない私たち有権者だって責任がないわけではありません。一億総劣化社会です。

 おっと、調子に乗ってこれ以上しゃべると「評論家面して何を言っているのか」と叱られそうですから「見て来たような政治講釈」はこれで止めにします。

 

 それより、もっと気になるのは「先生の劣化」です。

 2021年度から25年度までに順次進められる小学校の35人学級導入により、今後5年間で約13,500人の教職員定数増が必要と試算されています。また、22年度から教科担任制の本格導入も加わることで、必要な教員数はさらに膨らむことが予想されます。

 一方で、教員志望者の減少に歯止めが掛からず、一部の自治体では年度当初に必要な教員数を確保することができないために学級編成に支障が出るなど、教員不足の問題は深刻化しています。必要数が増えることがわかっていながら、志望者数が減少するという二重の足枷をはめられ、お先真っ暗な状態です。

 

 各自治体の教育委員会では受験者を増やすために、受験年齢制限の緩和や特別免許状の活用等、様々な方法を考えて来ましたが、増加に繋がるほどの効果はないようです。この切羽詰まった事態を前に、ある自治体では来年度からの採用選考に筆記試験と面接を課さず、教育実習の評価と大学の推薦だけで採否を決める特別選考の導入を決めたそうです。

 

 これは結構恐ろしい話です。筆記試験も面接もせず、教育実習の評価と大学の推薦で判断するということは、合否の判断を採用する側の評価ではなく、送り手(大学)の評価に委ねるこということです。

 いくら教員採用が売り手市場とはいえ、採用する側が責任を持って選ばないようなことになったら、先生の劣化がますます進むばかりです。「貧すれば鈍する」と言いますが「つけ」を子供たちに回すようなことをしてはいけません。(イデちゃん)

劣化社会

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すまし顔の翡翠(マツミナ)


 2回目のワクチン接種を受けたら40度の熱が出て、2日間寝込みました。布団の中でうつらうつらと、コロナで自宅療養している人々のことを思い浮かべていました。熱が出るだけでもこんなに苦しいのに、ましてや誰も助けに来てもらえないなんて。どれほど不安だろうか、怖いだろうか。税金やら社会保険料やらを取られてそんな仕打ちを受けたら、私なら怒り狂います。ひどすぎます。

 確か総裁選で、コロナ患者を自宅療養させている状態を非難している候補者がいたけれど、そもそも自民党内で本当に反対してくれたのでしょうか。

 そういえば、引退する衆議院議員塩崎恭久氏がこんなことを書いていました。〈政府が打ち出した『原則自宅療養』という方針に対して党内で『撤回しろ』と言ったのは私だけだった。政治の劣化が極まっている〉(『選択』2021年9月号、「政治家の無能が招いた『コロナ国難』より)

 布団の中で散々に毒づいているうちに、熱も引きました。

 

 イデちゃん、連続投球してくれてありがとうございました。昇進試験のために勉強していた父親の姿に「サラーマンでも社会について興味を持たなければならないと感じた。(略)私はもっと社会を知る必要があると考えた」という学生のコメント(924日「親父の背中」)に引っかかってくれて嬉しいです。私もひっかかっていました。でも「またか」という程度のひっかかり方です。社会が「学び」に大きな価値を認めていないことを、学生は感じ取っているからです。企業人、それもトップ層が「学生時代は大いに遊んだものだ」と公言しています。そういう人がトップだから、就活でも「SPI」の点数は見ても、大学での成績評価なんてどうでもいいのかもしれません。働きながら大学院などに通って学ぶ人をきちんと処遇する企業が少ないことも、どこかで聞いているかもしれません。

 

 実は、この学生と父とのやりとりは、授業で披露してもらいました。授業が始まる前にこの話を学生から聞き、すぐに他の学生に共有してもらおうと考えたのです。「サラリーマンは気楽な稼業」ではないことに気づいてもらうために。

 学びを軽視する企業、そしてそれを許す社会全体はどうなっていくのでしょうか。「劣化が極まっている」のは、政治の問題だけではないと懸念しています。(マツミナ)

「サラリーマンは気楽な稼業」だと思いますか

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空き家の庭に秋の陽が眩しい(イデちゃん)

 

 924日の「親父の背中」(ミナさん)を読んで、父親と子のやりとりの場面を思い浮かべました。「新聞を読むのは、大事なんだよ。お前も新聞を読む授業を大学でとっていたからわかるだろう」と子に新聞を読むことの大切さを説き、「欠かさず新聞を読み、時代感覚を培おうと机に向かっている」父の姿を見て、学生も思うところがたくさんあったようですね。親の話を「うざったい」と思う若者が多いと聞くことがありますが、こういう親子の関係っていいなあと思いました。

 

 そう思いつつ、彼に聞いてみたいことが一つあるのです。意地悪な気持ちで聞くわけではありません。ちょっと気になったものですからご容赦を。

「サラーマンでも社会について興味を持たなければならないと感じた。(略)私はもっと社会を知る必要があると考えた」ということですが、「サラリーマンでも」という部分が妙に引っかかったのです。もしかして「サラリーマンは社会のことについて興味を持たなくていい」と思っていたのでしょうか。まさかとは思いますが、読みようによってはそう受け取ることもできます。

 

 60年ほど昔、日本が高度経済成長の波に乗って景気がよくなって来た頃のことです。植木等と言うコメディアンが歌う「ドント節」という曲が流行りました。青島幸男の作詞で「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」というイントロから始まります。そして、二日酔いでも寝ぼけていてもなんとか勤まってしまうとか、課長や部長にはなれなくても定年なんてずっと先の話だからドント行こうぜと歌っています。植木等のずっこけた歌い方が受け、レコードも大いに売れたようでした。

 

 ところで、植木等の歌を聞いてサラリーマンは気楽な稼業だと思った人はどれほどいたでしょうか。それは景気の良い歌詞の裏にある青島幸男一流のアイロニーが受けたのであって、本当にそうだと思った人は多くないでしょう。

よく「サラリーマン的」という冠言葉をつけて、働き方や仕事ぶりを揶揄したりすることがありますが失礼千万な話です。言うまでもないことですが「サラリーマンは気楽な稼業」などではありません。お父さんの話からもよくわかると思います。 

 

 どんな職業についても社会との関係を切り離す事はできません。なぜなら「働く」ということは「社会に関わる」ということだからです。私が「サラリーマンでも」という部分に拘った理由をお分かりいただけたでしょうか。

 新聞はもちろん、様々な分野の本もたくさん読んで、もっともっと社会を知り、考える青年になって下さい。期待しています。(イデちゃん)

齢に従わない

 

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甥の作品展に行ってきました行ってきました(イデちゃん)

 

 今日から後期高齢者の仲間入りです。何かにつけて話題になる「団塊の世代」は1947年から1949年に生まれた世代を指していますが、私のような1946年生まれの年代は「団塊の世代の走り」とでもいったらいいのかもしれません。小学校では自分たちのすぐ上の学年は人数が少なく、下の学年から急に多くなりました。大学入試の時「現役で合格しないと次の年は受験者が増えて大変だよ」言われながら果たせず、一浪の末に大人数の後輩たちと競う羽目になりました。 

 

 以来、ずっと「団塊の世代」に付き合って来ましたが、その世代がいよいよ後期高齢者に差し掛かって来たわけです。団塊の世代の本隊が後期高齢者になる2025年ごろには年金や保健等に関わる現役世代の負担が一層大きくなることが予想され、深刻な課題となっていることはご承知の通りです。

 

 先日、若い友人と話していて深沢七郎の「楢山節考」に話題が及びました。人の命が大切なことは言うまでもないけれど、大切にし過ぎるってことはないのだろうか。そんなに大切にしてくれなくてもいいよ、なんて言える人はいるのだろうか等、聞きようによっては不遜で不見識な話ですが、命の軽重とか延命治療の是非とかといった難しい話ではなく「もう十分生きたから、これ以上は遠慮しとくよ」っていうのはありですかねえ、といった他愛もないやりとりから「楢山節考」の話になったのです。

楢山節考」は、70歳になると楢山へ捨て置かれるという村の掟を悄然と迎えようとしている老婆と、その息子の心の葛藤を描いた小説です。「大切にし過ぎるってことはありなのでしょうか」という若者の問いに答えを持たなかった私は、代わりにこの小説を読むことを勧めたのですが、それは「あり」だったでしょうか。

 

 今日から後期高齢者という立場を特に意識して生活する気はありませんが、運転免許の更新や健康保険制度のように社会制度や世の中の仕組みのが、「齢」に従って生きるようにと迫ってくるようで、余りいい気分ではありません。

もっとも、大量の老人の面倒を見なければならない若い世代の方がもっといい気分ではないかもしれませんが。(イデちゃん)

オヤジの背中

 

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嬉しい時にはスイーツ(マツミナ)

 

 今日は嬉しい話です。春学期の「質問力を磨く(Class Q)」を履修していた学生が、秋学期の授業に戻ってきました。「この授業、厳しすぎる」「もう絶対履修しない」とさんざん毒づいていた学生だったのです。

 目が合うと、ちょっと照れたような表情で、聞きもしないのに、履修を決めた事情を話してくれました。勤務先の昇進試験に苦戦していた父親の姿が背中を押したのだそうです。

 父親はこの夏、昇進試験に臨んでいました。試験は、営業職の使命とは何か、現在のような社会で、何を誰にどう売るべきなのか、それによって企業と社会にどのように貢献するか…など、時代認識や会社との関係など仕事の根幹に関わるような内容を論じることだったといいます。

 その結果、父親はかなり厳しく上司に叱責されたのだそうです。「君は新聞を読んでいるのか、なぜこのような時代認識なのか」……。

 上司に叱責されたとしても、学生の父は立派です。それを家庭で、ひょっとしたら食卓で家族に話していたのですから。必死に努力した、けれども力を発揮しきれず、上司にお小言を食う結果になっている。それを包み隠さず家族に話し、さらにこうも言ったそうです。

 「新聞を読むのは、大事なんだよ。お前も新聞を読む授業を大学でとっていたからわかるだろう」

 お父さん、よくぞ新聞を読むことの大切さを伝えてくれました。そのほかにも書く力の重要性にも言及していたそうです。

 本日(9月24日付)の日経新聞に、求人情報の変化が報じられていました。不況期には労働者に求められるスキルが高度化するということです。ポストコロナ期で働くには、今よりも学び続ける姿勢が求められることでしょう。

 

 以来、父は欠かさず新聞を読み、時代感覚を培おうと机に向かっていると学生は話していました。その背中は、学生にたくさんのメッセージを伝えています。学生のリフレクションシートには、こう綴られていました。

 「サラーマンでも社会について興味を持たなければならないと感じた。(略)私はもっと社会を知る必要があると考えた。そのため履修することを決めた。秋学期もよろしくお願いします」

 こちらこそ、よろしく。今度、お父さんも一緒に、授業に来てください。大歓迎です。

(マツミナ)

いささか気になること

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左に稲田、右に蕎麦畑、道は黒姫山を目指す(イデちゃん)

 

   今朝(9月23日)の東京新聞がこう報じていました。

 「東京都町田市立小学校の6年生女児=当時(12)=が2020年11月、いじめを訴える遺書を残して自殺した問題で、石阪丈一市長は22日の記者会見で、新たに市長直属のいじめ問題調査委員会を年内にも設置する方針を明らかにした。弁護士や学識経験者ら第三者の委員5人で構成し、学校貸与のタブレット端末を使うなどの、いじめの経緯や自殺との因果関係を調査する」

 

   これまでの報道によれば、授業で使うために学校から1人1台配られたタブレット端末を使って、女子児童に対する悪口がやり取りされていたということです。タブレットに残されていた書き込みが何者かに消去され、内容の確認はできていないようです。

 文科省が町田市教委から聴取した情報によれば、パスワードは全員共通で、IDも児童の出席番号や年度など容易に類推可能な数字を組み合わせたものであったために、本人以外の人が誰かになりすまして書いたり消したりできたようです。

 そこで、文科省はパスワードの適切な運用について各教育委員会にあらためて周知徹底を図るために「小中学生に1人1台の端末を配る『GIGAスクール構想』について文科省が17日、全国の教委担当者約1000人と開いたオンライン会議で、パスワードとIDの管理方法などをさっそく指導」しました(9月17日付東京新聞)。

 

 改めて「いじめ」の新聞記事を辿ってみると、ここまでは学校で大きな「事故」が起こった時の「定番の筋書き」のように見えますが、耳に入ってくるいろいろな情報を重ねてみると、いささか気になることがあります。

 聞くところによれば、事故の起きた小学校は町田発未来型教育モデル校として、Edtechを活用した新時代の学びに挑戦しているICT教育先進校だそうです。事故当時の校長はICT教育に20年以上も関わり、教育の情報化に関する手引の作成、中央教育審議会委員、内閣府の青少年インターネット環境の整備等に関する検討会の委員などを務めて来た人です。そんな校長が指導してきたICT教育先進校に対して、今更「パスワードとIDの管理方法」などという初歩的な指導するのは「釈迦に説法」のようなものでしょう。

   この学校はICTを活用した教育研究について全国規模の公開発表会を開いています。文科省のI C T担当者も参観していたのではないでしょうか。仮にいたとしたら、その時、なぜ、パスワードとIDの管理に疑問を持たなかったのでしょうか。それともGIGAスクール構想を牽引する学校だから「見て見ぬ振り」でもしたのでしょうか。まさかとは思いますが、今回の文科省の手早い対応を「トカゲの尻尾切り」と勘ぐりたくなる手合いもいるかもしれません。

 

 いずれにしても、学校貸与のタブレット端末が「いじめ」の手段に使われたとすれば、学校の不作為は当然問われることになりますが、これは「他人を傷つけることを書き込まないなど留意事項を整理したチェックリスト」(文科省)を示して注意を喚起すれば済むような問題ではありません。第三者委員会の「深掘り」を期待します。(イデちゃん)

 

珠玉の言葉

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どんぐりが豊作(マツミナ)

 

    今日はキャスター・安藤優子さんのスペシャトークでした。社会人を対象とした上智大学の特別講座「プロフェッショナル・スタディーズ」の人気イベントです。テーマは「報道現場で女性が働くということ」。こういう会で司会進行役をできるなんて、ラッキーです。珠玉のような言葉をたくさんいただきました。

 

 〈学ぶということは、自分がものを知らないことを知ること〉

 1980年代からアウトプットし続けるうちに、全身が「カラカラ」になったと感じたそうです。そこで飛び込んだのが、母校・上智大学の大学院。12年がかりで博士論文を書き終えたとふりかえっていました。世界中を飛び回りながらの論文執筆は大変だったでしょう。それでも、そんな自分を俯瞰する余裕がある。学びの基礎体力があったのでしょうね。

 

 〈プラスチックの黄色い菊〉

 テレビ朝日のアシスタントとしてスタートを切ったそうです。その頃の自分を外国人記者たちに説明したものの、誰1人として「アシスタント」の意味がわからなかったとか。そこでこう説明したのです。「スーパーで売られている刺身のパック。そのつまに添えられた、プラスチックの黄色い菊が、アシスタント」だと。全員が理解しました。「君はそこにいただけなんだね」。メーンの男性司会者の横で、ただ頷き、時折笑顔を見せていればよかったのだそうです。

 

 〈女性であることを封印する〉

 そういう自分が嫌で、男性と同化する作戦に出ました。紛争地帯であろうが、事故現場であろうが、誰よりも先に現場に飛び込む。その結果、自分の身を守りきれず、同行するカメラマンの命まで危険に晒してしまい、同化作戦には多大な問題があることに気づいたそうです。

 

 〈感情の蛇口を締める〉

 今回のスペシャトークは、珍しく女性の参加者が大半を占めました。講演が終わるやいなや、参加者から次々に質問があがります。「女の子扱い」「セクハラ発言をやり過ごさなくてはいけない」…。そのうちの一つが「女性としてキャリアを築く上で大事にしてきたことは何か」でした。それに対する安藤さんの答えは「自分の気持ちをフラットに保つこと」。そのために、仕事の時には感情の蛇口を締めていたのだそうです。

 

 〈人の話をちゃんと聞く〉

 その姿勢は、政財界のトップにだけ発揮されたのではありません。ザイールの難民キャンプで暮らす子どもや、南アフリカの白人学校にたった1人で入学した女子生徒にも隔てなく向き合ってきたことが、言葉の端々に現れていました。

 潔さの漂う、姿勢の良い方でした。(マツミナ)

土に還る手続き 3

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実りの秋、黄金色の稲田(イデちゃん)

 

 今年5月に亡くなり、菩提寺に預かっていただいていた母の遺骨をお墓に納めました。秋晴れの下、曽孫4人に線香を手向けてもらい、これで名実ともに母は土に還りました。

 人が死亡すると様々な手続きが必要になります。以前も書きましたが、医師に死亡診断書を書いてもらって、役所に死亡届けを提出します。それによって火葬許可証と埋葬許可証が発行されます。葬儀、火葬を執り行い遺骨を墓に埋葬して、ようやく故人を弔う儀式が一段落します。

 こうした手続きは一生にうちに何回もあるようなことではありません。ですから手続きや業務を専門的に代行する業者に任せるという選択もあります。今回は自分で手続きをして納骨を行いましたが、結構面倒で、笑い話のようなやりとりもありました。

 

 市営墓地管理事務所係員(以下S)「ご苦労さまです。本日納骨される方はどなたですか」

私(以下I)「母です」

S「墓地使用契約者はどなたですか」

I「母です」

S「あなたは…」

I「子どもです」

S「墓地使用契約者ではありませんね」

I「どうすればいいのですか」

S「変更していただかないと…」

I「今日納骨に来たのに変更しないと、できないのですか」

S「使用契約者本人が自分のお骨を納骨することは…」

I「あり得ないですよね」

S「そうですね。でも…」

I「では、どうすればいいのですか」

  

 こんな珍問答の末、今日はとりあえず納骨させてもらい、後日、使用契約者変更届を提出することになりましたが、この手続きのなんと面倒だったことか。墓地使用者変更手続きに必要な書類等ってこんなにあるのです。

・承継前の使用者の墓地使用承諾証書 ・承継者の本籍地・筆頭者の記載のある住民票

・承継前の使用者との関係を証する戸籍謄本 ・印鑑 ・手数料 

・市外の方が承継する場合は、当市在住の代理人の住民票 ・代理人の印鑑

 

「土に還る」ことは容易ではありません。(イデちゃん)

 

教材を進化させる

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秋学期のエネルギー補給には、まず糖分(マツミナ)

 

 「質問力を磨く(Class Q)」で使っている教材「コンセプトマップ」を一新することにしました。連休の2日間、山浦晴男先生の思考法セミナーを受けながら、つくづく、自分自身が怠けていることを思い知らされました。

 コンセプトマップは、自分以外の誰かになりきって新聞記事を読み、たくさんのキーワードを抽出し、それらを360度に広げていくトレーニングシートです。記事はどれを選んでもいい。誰になりきってもいい。楽しみながらキーワードをつなげて、思考を広げてもらおうと考えて作りました。書きやすいようにデザインも変えながらもう5年は使ってきたでしょうか。そのうちに、コンセプトマップは楽しいと喜んでいる学生よりも、苦手意識を持つ学生が増えていると感じていました。

 なぜ苦手なのか。学生の言い分にヒントがありました。

 

 「ゴールが見えない」

 「何の役に立つのか分からない」

 

 これをヒントに、教材を作り替えました。まず、新聞を誰かになりきって読んで「テーマ設定」をします。つまり「○◯について考えよ」という命題を自分に出します。そこからは山浦先生の思考法を使って頭の中の言葉を見える化し、最終的には「仮説」を立てるところまで持っていきます。

 「仮説を立てる」がゴールです。これでテーマ設定から論理的な思考を重ねて仮説を立てるところまでいける、という「役立ち感」を実感してもらおうと狙っています。

 制限時間も設けました。30分間で記事を読み、A4サイズのシート1枚に思考を広げて仮説を立てる。これなら短期決戦、緊張感のあるワークの時間になるのではないかと見ています。

 

 学生の反応やいかに。明日、社会人を対象にしたClass Qでチャレンジしてきます。(マツミナ)

学校参観初日の感想は

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戸隠山高妻山飯綱山黒姫山妙高山(イデちゃん)

 

 9月15日からN君と一緒に小学校で参観を始めたMさんのリフレクションシートが届きました。卒業以来久しぶりに1日を過ごした小学校で「先生の多忙さと子どもの意外と大人な部分」(リフレクションシートより)を目の当たりにし、驚きも大きかったようです。

 

 「休み時間や給食の時間を削ってまでも作業する」先生の忙しい様子を見て、「時間をうまく使えるようにしないと、やることが多すぎて仕事を回しきれないのではないか」と思ったようで、「逆算して行動することがあまり得意でないので大学生の間に訓練しておく必要があると感じた」と書いています。

 

 また「先生が話そうとしているのを察して、誰か生徒が話をしていたら生徒内で注意し合っていた。そして、注意を受けた子も文句を言わずに静かにできて」いる様子に「子どもの意外と大人な部分」を発見し、自分がアルバイトで指導しているスイミングスクールの同年齢の子どもたちとの違いに驚いたようです。

 

 午後に行われた校内研究授業では、配布された指導案の内容や細かい資料にも驚かされたようです。前期の授業で「なんのために作るのかあまりよくわからない状態で作った指導案」に対して、「現職の先生が作成した(指導案)を実際に目にして、さらにそれを元にした授業を目にして、どれだけ指導案が重要なものなのかを体感できた」と書いています。

 

 「子ども」の時とは違う目で見た先生や児童の様子について新鮮な驚きを書いています。初日のこの感覚がこれから学校参観を続ける中で、どのように変わっていくか興味津々です。じっくり追いかけることにしましょう。(イデちゃん)

 

学校参観初日の感想は

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戸隠山高妻山飯綱山黒姫山妙高山(イデちゃん)

 

 9月15日からN君と一緒に小学校で参観を始めたMさんのリフレクションシートが届きました。卒業以来久しぶりに1日を過ごした小学校で「先生の多忙さと子どもの意外と大人な部分」(リフレクションシートより)を目の当たりにし、驚きも大きかったようです。

 

 「休み時間や給食の時間を削ってまでも作業する」先生の忙しい様子を見て、「時間をうまく使えるようにしないと、やることが多すぎて仕事を回しきれないのではないか」と思ったようで、「逆算して行動することがあまり得意でないので大学生の間に訓練しておく必要があると感じた」と書いています。

 

 また「先生が話そうとしているのを察して、誰か生徒が話をしていたら生徒内で注意し合っていた。そして、注意を受けた子も文句を言わずに静かにできて」いる様子に「子どもの意外と大人な部分」を発見し、自分がアルバイトで指導しているスイミングスクールの同年齢の子どもたちとの違いに驚いたようです。

 

 午後に行われた校内研究授業では、配布された指導案の内容や細かい資料にも驚かされたようです。前期の授業で「なんのために作るのかあまりよくわからない状態で作った指導案」に対して、「現職の先生が作成した(指導案)を実際に目にして、さらにそれを元にした授業を目にして、どれだけ指導案が重要なものなのかを体感できた」と書いています。

 

 「子ども」の時とは違う目で見た先生や児童の様子について新鮮な驚きを書いています。初日のこの感覚がこれから学校参観を続ける中で、どのように変わっていくか興味津々です。じっくり追いかけることにしましょう。(イデちゃん)

 

自分の価値観を疑う

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ミカンがこんなに色づいて(マツミナ)


 本日は朝から約7時間、みっちり思考法の勉強をしました。「ロジカル・ブレスト法」。講師は山浦晴男先生。かの「KJ法」を世に送り出した文化人類学者・川喜田二郎氏と一緒に、思考法の開発と普及に取り組んできた方です。勉強会は金沢大学の主催で、オンライン。これだけの長時間、パソコンの前に座っていれば、全身は疲労困憊、特に目の痛みを強く感じます。けれども、頭だけは妙に冴え冴えして、新学期の授業の組み立てをどうやって変えようかを考えています。

 

 本日の学びで最も衝撃を受けたのは、接続詞の使い方でした。駆け出しの新聞記者時代によく注意されたのは、「やたらと接続詞を使うな」。接続詞を使わなくても、記事の組み立てが論理的であれば、読者に理解してもらえる。字数も節約できる。接続詞を使わざるを得ない文章になっているときは、どこか論理の組み立てに欠陥がある。社説を見てみろ。ほとんど、接続詞を使っていないだろ――。こう言われたものです。

 ロジカル・ブレスト法でフル活用していたのは、まさにその接続詞。ある事実を起点に「そうはいうが/しかし」「そこで/それなら」「しかし」「ところで」などの接続詞を使って、思考を広げていくのです。

 今まで「やたらと使うな」と戒められ、自分でも必死に避けてきた接続詞が、思考を広げるうえで大いに役立つことに驚きました。自分の価値観とは違うものと出会い、咀嚼してみる面白さ。ひょっとしたら、自分が頑なに守り続けて、かえって思考を止めている価値観がほかにもあるかもしれません。自分の価値観を疑う大切さに改めて気づかされました。その意味でも、本日の勉強会には意味がありました。

 

 ここで具体例を出しながら説明したら、皆さんにもお伝えできたいいのでしょうが、今日はもうバッテリー切れ。ウルトラマンだったら、カラータイマーが点滅しているところです。

 勉強会は明日もあります。2日目もしっかり学んできます。 (マツミナ)

「考える先生」、小学校でも始まる

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コスモスがひまわりに追いついた(イデちゃん)

 

   9月15日から「考える先生」を育てるプロジェクトの第2グループの学校参観が始まりました。2人の学生を引き受けていただく区立小学校にミナさんと挨拶に伺い、初日の様子を「参観」させていただきました。

 

 3時間目、校庭では1年生が運動会で演ずるダンス(表現)の練習が始まりました。少し離れた場所から様子を見ていると「あそこにいますよ」と校長先生が教えてくれました。

 指差す方向に目を向けると、小さな子どもたちの向こうにMさんの姿がありました。1年生の補助をしているようです。何やら楽しそうな感じに見えました。

 2階の教室に行くとN君が算数の個別指導の手伝いをしていました。児童用の小さな机の前にしゃがみ込み、子どもの目線と同じ高さに顔を合わせて話し込んでいます。声は聞こえてきません。わからないところを教えているのでしょうか。邪魔しないように離れて見てきました。2人は午後行われる校内授業研究会にも参加させてもらうようです。

 

 その日の夜、N君のリフレクションシートが届きました。「視点」、「把握」、「表し方」の三つをキーワードに、気づいたことや考えたことがまとめられていました。

・柔軟な視点の必要性を感じた。視点を固定観念(ママ)するのではなく「多様なものの見方」を身につけたい。

・校庭もコミュニケーションの場、校庭で行われている児童同士の社会の機微というものを見極められるようになると決めた(ママ)。

 

 「社会の機微」とは子どもたちの間にある微妙な関係のことを言いたいのでしょうか。なんとなく言いたいことはわかるような気がしますが、意味不明な表現ですね。

ま、それはともかく、参観初日は大変刺激的であったようです。見たこと感じたことを大切にして、「固定観念」に囚われず「柔軟な視点」で観察を続けて欲しいと思います。

 

 「考える先生」プロジェクトでは、予め設定した教師モデルに近づけるための働きかけはしません。見方や考え方を教えるつもりもありません。なりたい先生のモデルを自分で作って欲しいからです。2人が何に目を向け、何を学び、何を考え、どのように成長・変化していくか楽しみです。

 校長先生、お付き合いよろしくお願いいたします。(イデちゃん)