idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

できないと諦める前に

 

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思案投げ首ネギ坊主、何考えているのかな(イデちゃん)

学生は概ね、『できないの分岐点』に立ったとき、自分で工夫して乗り越えようとする学生と、環境や相手を変えようとする学生と2パターンに分けられる」と言うミナさんの指摘ですが、ま、学生にもそれなりの言い分はあるでしょうが、そのうち世間はそんなに甘くないことに気づくでしょう。その時どうするか見ものです。それでも環境や相手を変えようとしますかね。

 

 水曜日の事です。次男の家族と夕食を一緒に食べる約束をしていた私は、ブログに載せるための原稿をPagesにupして家を出ました。ところがミナさんから「ファイルを開けられない」とメールが来ました。実は午前中から通信環境がおかしくて、いつもならすぐ繋がるサイトになかなか繋がらなかったり、Cloudに上げてあるファイルにアクセスできなかったりして嫌な感じがしていたのですが、肝心な時に繋がらなくなってしまったのです。

 次男も同様の不具合を感じていたようで、困惑していたのは私だけではなかった事がわかりました。テーブルに夕食が並べられ、みんなで食べ始めたのですが、私は原稿のことが気になって食事どころではありません。

 「全くいい迷惑だよ、肝心な時にダウンしやがって」と焦っている私を見て中1の孫が言いました。

「どうしたの、ジジ」

「原稿を送れないんだよ」

「メールは届くの?」

「うん」

「ジジ、いい方法があるよ。メールの本文に原稿を直接貼り付けて送ったらどうかな。やってみようか」

「お、そうだね、やってみて」

私のスマホを彼に渡しました。

「送りたい原稿はこれ? 送り先は?」

などと聞きながら、スマホを操作していましたが、しばらくすると「行ったよ」と言いながらスマホを返してくれました。

 しばらくしてミナさんから原稿来ましたと返信がありました。

「ありがと、助かった。よくやり方知ってたね」

「ファイルを送れなくてもメールを送れるのなら、本文にしてしまえばいいかなって思ったんだよ」

「なるほど、そうだよね。気づかなかったな。ありがとう、助かったよ」

 知っていることを手がかりに、こうすればうまくいくかもしれないとトライして、まんまと成功させた少年の頭にやわらかさに感心し、思わず「お主、できるな」と唸ったジジでした。

 

 できないと諦める前に「できること」を探す。そして、それを手がかりに問題を解決するための方法を見つけて積み上げていく。「考える」ってそういうことなのですね。改めて納得しました。(イデちゃん)

 「できないの分岐点」の先で

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いつの間にかこんなに伸びていた…(マツミナ)

 ベランダのプランターに、きゅうりの苗を2株植えました。支柱を立て、ネットも張りました。家庭菜園の本に、こうした工夫がきゅうりの生長には重要と書かれていたからです。目指すは、グリーンカーテン。さあ、支柱とネットをしっかりつかんで、すくすく伸びなさいよ、と声をかけていました。

 期待に応えて、1株はすぐに支柱につるをはわせ、小さな雌花も咲かせました。ところがもう1株は支柱に見向きもせず、勝手な方向に向かうばかり。風が吹くたびにゆらゆらとして、そのせいかどうか、支柱に早くから絡んで伸びている苗と見比べると、全く伸びていませんでした。なんだか心配なきゅうりだなあと眺めていました。

 

 「質問力を磨く(Class Q)」の学生から先日、授業に注文がつきました。当日朝刊ではなく、数日前の新聞を使ってほしいというのです。Class Qでは、当日の朝刊のある記事を、「自分以外の誰か」になりきって読み、問いを立てるというワークをしています。学生は、それでは対応できない、新聞を読む時間も、なりきるための情報も思考する時間も足りない、というのです。もともと、こちらの指示に従わない傾向の学生です。リフレクションシートにも、毎回、授業や私に対する批判が書かれています。

 学生は概ね、2パターンに分けられるとみています。「できないの分岐点」に立ったとき、自分で工夫して乗り越えようとする学生と、環境や相手を変えようとする学生と。どうやらこの学生は後者のようです。

 もちろん、答えはNOです。社会は常に動いています。その中で「瞬時に深く」考えるためにも、こんな要求は飲めません。

 ところが学生は引き下がりません。「じゃ、せめて2日前、いや前日の新聞でもいいです」となおも交渉を続けようとするのです。へえ、おもしろい。その真意を尋ねました。

 「自分は読むのが遅い。なりきる立場を考えるのも遅い。でももっと深めたいんです」というのです。

 なるほど。新たな学びの機会になるかもしれないな。

 話し合った末、授業の3時間前、午前7時までに、教材で使う記事となりきる立場を私がその学生に伝える、学生からClass Qの仲間全員に流す、という妥協点にたどり着きました。明日のClass Qで、他の学生にも学生の提案を紹介します。さて、他の学生はどんな反応をするでしょうか。

 

 ふとベランダを見たら、支柱に見向きもしなかったきゅうりの苗がいつの間にやら太く、高く伸びていました。早くから支柱に絡んでいた苗よりも、もっと高いところで支柱をつかんでいました。(マツミナ)

 

 

急がば回れ

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夏椿の花が咲き始めました(イデちゃん)

 「教員免許更新制」の見直しをするようです。巷で悪名高い(?)この制度もそろそろお役御免になるのでしょうか。中教審は廃止も含めて近々結論を出すそうです。

「教員免許更新制」が導入されたのは2009年。第1次安倍政権の「教育再生会議」などの提言を受けました。更新講習を受けるのは10年に1度で、「最新の知識や技能」を2年間で計30時間以上受け、免許を更新するのです。

各教委でも10年次研修を行っており、それとの違いが明確でないと指摘されていました。学校の多忙化が進む中で講習を受ける教員の負担増も懸念されていました。

毎日のように知識や技術が更新される時代に10年に1度の更新では追いつけるはずがありません。しないよりましと言いたいところですが、更新に関わる費用対効果を考えると、あまりお勧めの仕組みではありません。そもそも、この制度の始まりには多くの疑問が指摘されていたのですから、この際、廃止も含め「抜本的な見直し」(萩生田文科大臣)をした方がよろしいかと思います。

朝令暮改」の誹りは拭えませんが「過ちて改めざる是を過ちという」と孔子様も言っているではないですか。

 

さて、「高校までの習い性なのか、学生たちは『問いには必ず正解がある』と思い込んでいるようです。しかも、先生に質問すれば、正解を教えてくれると勘違いしているのかもしれません」というミナ先生の嘆き(?)も聞こえてきます。「たくさんの問題を解いて速く正解を出す」事が求められる教育から「じっくり考えて納得する答えに辿り着く」教育への転換が急がれます。おっと「急いで」は禁句でしたね。ここは「急がば回れ」と行きましょう。

 

ある科学教室での話です。講師の話が終わり「何か質問ありますか」と促されて、一人の少年が手を挙げました。

「宇宙には星が何個あるのですか」

「君は何個ぐらいあると思いますか」

「わかりません」

「宇宙や天文のことをわかりやすく書いた本があるから、その本を紹介するね。君の質問に関係することがたくさん出ています。自分で調べてみなさい。君ならきっとわかると思います。それで不思議に思うことがあったら今度また質問してください」

 

会の終了後、控室で講師と話す機会があり、星の数をなぜ答えなかったのか話してくれました。

「QuestionとResearchは違います。Questionは『質問』つまり『疑問に思ったことに対する問い掛け』ですが、Researchは『調べる』ことです。星の数は調べればわかることですから『調べ方』を教えればいいのです」

 たくさんの聴衆の前で手を上げてくれた少年の気持ちを大切にして、「調べること」と「考えること」違いを解いて下さった科学者の教えに「納得」しました。

私たちが進めている「考える先生」プロジェクトの基本である「自分の頭で考える」という狙いに通じる教えです。(イデちゃん)

 

学生も企業人も「答え」に飛びつく

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本日はコンビニスイーツ(マツミナ)

 中間発表に向け、「質問力を磨く(ClassQ)」の学生たちが必死に「質問」しています。今日も月島食品工業のSさんに向けてパンチを繰り出し、答えを引き出そうとしていました。

 

学生 『ISO14001』と『RSPO』の認定の取得や加盟に当たり、具体的に行なった取り組みや、その後に行っている取り組みがありますか。

Sさん これは、まるっと相手にお任せな質問ですね。認証手続きや運用について調べてあれば、この質問は出てこないでしょう。準備してから再質問をお願いします。

 

学生 冷凍食品やレトルト食品を扱う会社との契約本数の増加や売り上げの増加はありましたか?

Sさん 増加を問うなら、比較対象物の定義と比較の物差しが必要です(時期、数量、金額などなど)。この質問だけでは、回答不能です。

 

 なんでも相手が答えてくれる、という姿勢では、質問を武器にした学びの深まりは期待できません。まずは自分で考えなさいよ、まったくもう。

 

 「質問力を磨く」は企業人にも開講しています。上智大学のプロフェッショナル・スタディーズというプログラムの一コマです。この春も14人の企業人を迎えて開講しました。

 受講者は30~50歳代。たくさんの仕事を抱えている方々が、職場から送り出されて学びにきます。中には「質問力」のために大阪や金沢から来ている方もいます。

 こちらの皆さんも共通の悩みは「問い続けるのが難しい」。ビジネスの世界では効率が求められがちだからでしょうか。手っ取り早く「答え」らしきものを求め、飛びつく傾向が出てしまうというのです。

 

 本日の記事は読売新聞1面の「精子バンク有償提供 来月開始『出自知る権利』課題」(2021年5月25日付朝刊)。民間の精子バンクが、有償で精子を提供する取り組みが6月から始まるという内容でした。

 初めは、参加者自身の視点で質問をつくりました。そうして出てくるのは「なぜここまでして子どもをほしがるのか」「こういう制度を利用するのはどんな人か」…。いずれも第三者的、他人事として受け止める質問が出てきました。次は「精子提供で生まれた子ども(20歳代、男性)」になりきって同じ記事を読んでもらいました。質問がガラリと変わります。「父は自分をどう見ているか」「自分は本当は何者なのか」。自分事として考える質問になるのです。参加者自身も、その変化に驚いていました。

 

 問題はここからです。参加者から質問が出ました。

 「自分以外の視点を持つことは大事です。同時に自分自身の視点も重要です。このバランス、配分はどのぐらいがベストなのですか」

 

 答えを求め、飛びつこうとするのは、企業人も変わらないのです。(マツミナ) 

企業人とのやりとりが学生を鍛える

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夏は近い(マツミナ)

  高校までの習い性なのか、学生たちは「問いには必ず正解がある」と思い込んでいるようです。しかも、先生に質問すれば、正解を教えてくれると勘違いしているのかもしれません。でも、いずれも錯覚です。

 それを知るきっかけにしてほしくて、「質問力を磨く(Class Q)」では、企業人にも協力を仰いでいます。来る5月28日は春学期中間のミニ発表会です。テーマは「役割と職種」。今回は2つの企業にお願いして、オンラインで会社説明会や職場ツアー、質疑応答の場を設けてもらいました。

 ここでも学生のふだんの姿勢が出ています。「正解は一つ。その正解を引っ張り出せばいい」という姿勢が。でも、趣旨を理解している方々相手に、その手は通じません。その一人、月島食品工業の人事責任者、Sさんとのやりとりの一部を紹介します。

 

学生 これからの企業の将来性とはどういうものになっていくと考えていますか?

Sさん 質問がぼんやりとしてますね。企業の「将来性」とはどのような将来性でしょうか。

 

学生 働かざるを得ない理由ではなく、働く理由は何ですか?

Sさん 人はなぜ働くのか。これは正解のある質問でしょうか。正解があると考えるのであれば、その根拠を示した上で再質問してください。正解がない質問と考えるのであれば、あえて私見を求めている理由を挙げて、再質問してください。

 

学生 仕事のレスポンスが早い人か、御社との総和ができる人のどちらかを採用するならどの人を選びますか? また、その理由を教えてください。

Sさん どちらかしか出来ない人は採用しません。程度は人によって様々ですが、両方必要です。

 

学生 同じような職種の企業とはどのような連携を取り、連携を取ることで互いにどのようなメリット、デメリットがありますか。

Sさん この質問は、ただ「答えを教えてください」という質問に見えます。正解を求めるのは簡単ですが、その答えを聞いているだけでは、知識は増えても学びは広がらないと思いますが、いかがですか?

 

 学生たちはこのやりとりをどう受け止め、次にどう反応してくるのでしょうか。楽しみです。(マツミナ)

学ばない人のために

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子供の玩具箱を整理していたら懐かしい立体パズルが出てきました(イデちゃん)

 「授業後に提出されたリフレクションシートを見ながら、頭を抱えてしまいました。学ばない、いえ、ひょっとしたら学びたくない学生がいることを再確認したからです」。

  ミナ先生は「大学に来る人は学びたくて来ている」と思っていたのでしょうか。そんな意地悪な質問をしてみたくなりました。私は性悪爺さんですから「まともに勉強しようと思って大学に来る学生は半分もいないのでは」と勘ぐっています。大学の先生の多くは「そんなものだ」と思っている節があります。だって、2年生の頃から就活を始めて、3年生の終わりには内定をもらえる学生がいると聞けば、特に大学で勉強した学識が役に立ったとは思えませんから。(就活の間、勉強してたのかなあ)

 

  クラブだ、合コンだ、イベントだと遊びまくる?学生を見て、大学のレジャーランド化を嘆いた時代がありました。最近はあまりそういう言い方をしなくなりました。レジャーランド化が指摘された時代の学生は遊ぶエネルギーも旺盛でしたが、最近の学生はS N Sにハマってウェブサイト上で「バエルー」とか「ぴえん」とか言っているだけで騒ぎもしない。みんなが行くところに行きたがり、仲間はずれや流行遅れが怖くて自己主張しない。では、大学で懸命に勉強しているかと思えば「楽単(ラクタン)」集めて苦労せずに卒業しようとする学生も多いそうで。(言い過ぎかな)

 

 「リフレクションシートを書けない人が、自分も含めて何人も困っているのなら、(締め切り時間を)変えてほしい」ってか。冗談言うなお兄さん。終電に間に合わない人がたくさんいるから発車時刻を遅らせろってかい。甘ったれんじゃないよ。え、何?「終電遅らせろって駅員にごねる酔っ払いおじさんもいる?」そうでした、学生だけが甘えているわけじゃありませんでしたね。(ごめんなさい)

 

 世の中、老若男女を問わず、なんでもかんでも自分の都合に合わせて欲しい甘ったれが増えたことは確かなようです。

 「どうしたら、学ばない人が学ぶ人になるのでしょうか。何がきっかけになるのでしょうか。いくら文句を言っても、書いてもいい。努力さえすれば必ず力がつくということに、いつか気付いてくれることを願っています。」

 こんな優しく厳しい先生に出会ったことを学生諸君がありがたく思う日が早く来ることを願いつつ、「水辺に馬を連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」なんて余計なことを言いたくなる性根の悪さに我ながら呆れるばかりです。

 

 そういえば今朝の東京新聞に「辞書を読む元世界王者」の話が載っていました。格闘技のチャンピオンだった彼は現役の頃から毎日、国語辞典を1ページから2ページ読むことを8年間続けているそうです。小説「舟を編む」(三浦しをん)読んで感動したことが契機になり、一日30分間の読書を欠かさず続け、国語辞典2冊を読破したとのことです。辞書を読むと「一字一句が自分自身の奥深くに刻み込まれる」と語っています。

 学ばない人にお勧めの話です。読んでみますか辞書を。

学ぶ人・学ばない人

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この池の水は……(2021年5月21日善福寺公園にて、マツミナ)

 学生たちは「できないの分岐点」の先をどう歩いていくのでしょうか。

 

 昨日の授業で、リフレクションシートを時間内に提出するのに難儀する学生が2タイプに分けられることを伝えました。「できない」ことを環境や相手のせいにする学生と、自分の工夫で乗り切ろうとする学生がいると。工夫で乗り切る学生は、自らの課題を見つけ、工夫をする力を培っているとも伝えました。

 

 その授業後に提出されたリフレクションシートを見ながら、頭を抱えてしまいました。学ばない、いえ、ひょっとしたら学びたくない学生がいることを再確認したからです。

 「リフレクションシートを書けない人が、自分も含めて何人も困っているのなら、(締め切り時間を)変えてほしい」

 できない現状に合わせろ、と考えているようです。できないのはなぜか、自らを観察して課題を見つけ出し、克服するための方策を考えるという姿勢を、どのように身につけさせたものでしょうか。

 「短時間で書かなくてもいいじゃないか。短時間で書くメリットがあったら教えて欲しい」

 メリットがあれば書く、なければ書かないということでしょうか。

 

 もちろん学ぶ人もいます。以前、締め切りを遅らせてほしいと交渉してきた学生はこう宣言してきました。

 「完全に自分のことも言われているなと感じました。『時間内に出せないので、今日中でいいですか』は封印します」

 「質問力を磨く(ClassQ)」で学んで3年目になる学生はこう書いてきました。

 「人のせいにしているようでは、いつまでも自分を変えられないことに気付いて欲しい」

 1年春学期のこの学生の姿をよく覚えています。リフレクションシート書きに苦労していました。昼食を取る時間も返上し、隣で待っている友達に愚痴をこぼしながら書いていました。その中で「どうしたら短時間で書けるか。しかも適切な内容と表現で」を考えていたようです。その結果、授業中にメモを取りながら頭の中でリフレクションシートの構成を作れるようになっていたのです。今では、わずか10分ぐらいでA4サイズのリフレクションシートの最後の行まで書けるようになりました。

 

 どうしたら、学ばない人が学ぶ人になるのでしょうか。何がきっかけになるのでしょうか。いくら文句を言っても、書いてもいい。努力さえすれば必ず力がつくということに、いつか気付いてくれることを願っています。(マツミナ)

ワクチン予約完了報告

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八丈島乙千代が浜の天然プール(2018年8月8日撮影、イデちゃん)

 新型コロナワクチン接種予約完了報告をします。

 昨日、朝8時30分、接種の予約申し込みに挑戦しました。「挑戦」などと何を気張っているのだと思う方もいるかも知れませんが、その時の私の気持ちはまさにそんな感じだったのです。インターネットを使って入場券や指定席の申し込みをすることはこれまでにもよくありましたが、今回は少しばかり緊張しました。前に書いたように予約受付の混乱ぶりを見聞きしていたからです。

 8時15分、申し込みサイトにパソコンからアクセスし、前日リハーサルした通りに市町村コード、接種券番号、生年月日、住所、氏名、電話番号、連絡先アドレス等を入力してスタンバイし、受付開始の8時30分を待ちました。8時30分、ロックが解除されたので接種会場選択に進み、空いている接種日を選ぶところまで到達しました。驚いたことにすでにかなりの日が埋まっていて、予定していた週より2週間後に空きを見つけて確保することができました。

 途中、「初めから入力をしてください」という表示が出たときは焦りましたが、幸い一画面バックするだけで回復し、予約を完了することができました。なんだかとても長く感じた作業でしたが、5分もかからず終了し、改めてインターネットの威力を感じました。お騒がせいたしました。

 

 さて、予約の先陣争いの顛末報告のついでに、読者の皆さんにはあまり馴染みのない「面倒な予約の話」をしましょう。

今回の予約騒ぎで、八丈島にいた頃ゴールデンウィークやお盆休みなどの繁忙期には飛行機の座席を確保することが難しく、予約に苦労したことを思い出しました。30年前の話です。当時は搭乗日の一月前に朝早くから飛行場の受付カウンターの前に並んで予約の順番待ちをするのですが、それでも予約できない時には「キャンセル待ち」に望みをかけるしかありませんでした。その後インターネット予約が可能になりましたが、繁忙期の予約集中は相変わらずで、少し油断して出遅れると、あっという間に希望日の座席が埋まってしまい、家族が来島する時などは人数分の席の確保が大変でした。

 旅行会社のツアーは全てがパックになっていますから万事お任せでいいのですが、個人で八丈島に行く場合は結構あれこれと面倒な準備が必要になります。夏季は民宿やホテルが一杯になる事があります。飛行機の予約と合わせて宿泊場所の確保も必要です。

さて、運よく飛行機の席を人数分確保し宿も予約できたとしましょう。羽田飛行場まで公共交通機関を使わず自家用車で行くとしたら駐車場の事前予約が必要になります。これがまた厄介で飛行場内の駐車場は空きが少なく予約が取りにくいのです。出発日に駐車場の空きがないと大変ですから、常にウェブサイトで空き状況にテェックして、空きができたらすぐに取らなくてはなりません。ダメなら早朝から駐車場の前に並ぶしかありません。

 飛行機の席が取れ、宿も予約して、駐車場も確保しました。でも、これで終わりではありません。島での「足」が必要です。足がなくては自由に歩き回ることができません。一昨年は島嶼少年野球大会と社会人サッカーの大会とぶつかり、飛行機も宿もレンタカーも予約満杯状態で友人・知人の情報とコクションとを総動員してやっとの思いで行くことができました。

 

 今日の八丈便の予約状況を覗いてみると、まだ空きがたくさんありました。緊急事態宣言下で島との往来も限られているようです。ワクチン接種が進んだら以前の賑わいが戻るでしょうか。そうなると行く前の準備は厄介になるけど、やっぱり早く島に行けるようになるといいなと思いました。(イデちゃん)

「できない」の分岐点

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朝靄の中で(マツミナ)

 「質問力を磨く(ClassQ)」で、学生は授業終わりにリフレクションシートを書きます。ふりかえりを書くことで、何を学んだか、学ばなかったかがわかります。リフレクションシートはA4サイズで、9割の分量を書き、授業後30分以内に提出するよう求めています。締め切り厳守。時間にルーズな学生が目につくためです。時間を守れないことは、社会人として致命傷。締め切りから逆算して行動することを身につけてほしいと考えています。

 文章を書く経験の乏しい学生にとっては至難のワザで、最初は苦労します。大半は「できない」と悲鳴をあげます。けれども「できない」は分岐点、その後なぜか対応が分かれます。できないことを環境や相手のせいにするか、自分で工夫するかの概ね二つです。

 

 先日、2年生からメールが来ました。「授業時間内にリフレクションシートを書く時間を設けるか、締め切りを遅らせてほしい」という内容でした。これは典型的な前者です。できないのは環境や条件に問題があるから。だからそちらを変えればいいと考えたのでしょう。

 もちろん、後者、自分が変わるを選択する学生もいます。やはりリフレクションシートに苦戦していた1年生が相談してきました。そこで先輩に聞いてみたらどうだろう、と返しました。その次の授業で、この学生は終了後わずか5分後に提出してきました。「授業中丹念にメモをとって、書くポイントをあらかじめ決めておく」と先輩に伝授してもらったのだそうです。書けたら終わりではなかったようです。慌てて書いたために字が汚く、誤字もあった、内容も深まっていないから、もっと工夫をしなくてはいけない、と新たな課題を見つけていました。

 

 昨日、久々の対面授業でした。終了まで15分というところで、リフレクションシートを控え室に忘れてきたことに気づきました。仲間の先生に取りに行ってもらう一方で、学生にはノートに下書きして後は写すだけにしておきなさい、と指示しました。すると、教室の一角で、リフレクションシートに書き込んでいる学生たちが数人いることに気づきました。リフレクションシートはデータで学生に渡していたので、事前にプリントアウトしていたのです。中には、50枚もプリントアウトして持ち歩いている学生もいました。「考える先生」に参加している学生でした。「すぐにリフレクションシートを書けるように」。学校の教育現場を毎週見ている中で、事前準備の大切さを痛感していたようです。

 「できない」の分岐点の先をどう歩いていくか。楽しみです。(マツミナ)

 

To be or not to be

 

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ワクチン接種の予約練習をしました

To be, or not to be, that is the question.」(Shakespeare

 

思い悩んだ母の選んだ答えは「だめ」。そして、彼女は子供の頃の自分を思い出し、深い自己嫌悪に落ち込むのでした。「智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だ兎角に、人の世は住みにくい」(夏目漱石)もので、「野鳥のヒナは拾わないで」というポスターなんて見なきゃよかったのに。世の中は理屈より情が優先することもあるようです。「知らぬが仏」とはよくいったものですね。

 

戯言はさておき、最近気になっていることで「知らぬが仏」では済まない話をします。

インターネットで本を検索したり注文したりすると、「あなたにお勧めの本」みたいな画面が出てきます。過去の検索データから予測してお勧めの本をいくつか提示してくれますが、自分の読書傾向が捕捉されているようであまりいい感じはしません。小さな親切大きな迷惑です。

「あなたのお買い物傾向から」などというパターンもあります。お節介な話だと呆れているわけにはいきません。AIがビッグデータとやらを解析して、個人の生活や頭の中を隅々まで見通しているようで不愉快です。いつ、誰とどこにいて、何をしていたか、どんな本を読んで何を考えているのか、何時に寝て何時に起きて、何を食べて…。こんなことまでぜーんぶ見られているとしたら大きな迷惑どころではありません。恐ろしい話です。「知らぬが仏」では済まされません。

 

 さて、明日から私たちの年代を対象にした新型コロナウィルスワクチン接種の受付が始まります。受付をめぐっては連日のように「電話が繋がらない」「インターネットが使えない」「なりすましでも受付できた」「二重予約した」等々、混乱ぶりが伝えられています。

 これほど不安定な仕組みで大丈夫なのかと心配になったので、今日、内緒で申し込みのリハーサルをしてみました。クーポン券を手元に置いて、市町村コード、接種券番号、生年月日を入力して「認証」を押すと「入力内容に誤りがあります」となりました。こりゃ大変だと思い、やりなおしている途中で「私の年齢層の受け付けは明日から」だったということに気づきました。もし、これが当日のアクセスが集中する時間帯だったこんなに冷静に対応できただろうかと思うと、冷や汗ものでした。各地の混乱も他人事ではありません。練習でよかったです。明日、無事予約が取れたら報告いたします。(イデちゃん)

スズメの子

 

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こういう時こそ糖分。いや、いつでも糖分(マツミナ)

 今日は朝からずっと自己嫌悪を抱えたまま過ごしました。なぜ子どもに挑戦を許せないのか、自分の経験則は絶対か、いつも学生たちに結果を考えずに挑戦しなさい、と言ってきたではないか、あれは口先だけだったのか…。

 

 ことの起こりは今朝7時ごろ。外でなわとびの練習をしていた小学生の息子が家に飛び込んできたところからです。

 「お母ちゃん、スズメの子飼っていい?」

 顔を上気させた息子に手を引かれて外に出てみると、高齢のご夫婦が待っていました。ご主人が両手をそっと開くと、中には青いハンカチに包まれたスズメの子。目がぱっちりと開いていて、羽も生えそろっています。近くの電柱の下で拾ったのだそうです。

 うるさいぐらいに息子が繰り返します。

 「飼っていい?」

 その時、私は動物病院に貼られたポスターを思い出していました。「野鳥のヒナは拾わないで」と書かれていました。親鳥がそばで見ていて、人間が遠ざかったら巣に回収すると書かれていたように記憶しています。それでもご夫婦は拾ってしまったのでしょうね。その気持ちはわかります。

 けれども私が息子に言ったのは「だめ」。

 

 実は子ども時代に何度もスズメの雛を拾ったことがあります。1羽も成鳥にさせることができませんでした。不登校だった小学生の私には、時間がたっぷりありました。図鑑を見て、井の頭公園の獣医さんを訪ねて餌のやり方などを聞き、丁寧に育てているつもりでした。それでもある朝起きると冷たくなっている雛を目の当たりにするのです。目を閉じた雛の顔に何度涙を流したことか。電柱の上の巣に戻せないのなら、せめてこのご夫婦の方が可能性があるのかもしれないという計算も働きました。

 私の頑なな決断に息子はもとより、ご夫婦も残念そうな表情でした。

 

 その瞬間、判断を誤ったと思い始めました。よく考えると、何度も私がヒナを拾って育てたのは、黙って許してくれた母がいたからです。田舎でたくさんの生き物と暮らしていた母のこと、小学生の娘がスズメの子を育てられるかどうかわかっていたでしょう。それでも黙っていたのです。一方の私はどうでしょう。自分の乏しい失敗の経験にしがみついているだけでは…。

 

 今「質問力を磨く(ClassQ)」の学生たちが新たなイベントづくりに取り組んでいます。手出し口出しをしたくなった時に、今日のことを思い出すことにします。苦い教訓です。(マツミナ)

 

考える先生を育てなくては

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くさむらのポピー。どこからタネが飛んできたのかな(イデちゃん)


 日曜日の午後、久しぶりに音楽を聴きに行きました。緊急事態宣言下でのコンサートですから、入り口での検温、消毒は徹底していて、2,000人余は入れるホールも半分以下の人数に抑えられていました。私の席は3階のピロティ側で人もまばらでしたから、ここならウィルスも近づかないだろうと勝手に安心して、ゆっくり聴くことができました。

 曲目の二つ目はバルトークのピアノ協奏曲第1番でした。生で聴くのは初めてです。登場したピアニストを見て驚きました。黒のシャツに同色の細いネクタイ、スーツも黒でタイトな仕立てがとてもよく似合う若者です。「どこかで見た顔だなあ」と想いに耽っているうちに曲が始まりました。オーケストラの大音響を相手に、体全体を使って低音を鳴り響かせる若者の指の力強さに、初っ端から圧倒されました。

 

 鍵盤から顔を上げた彼の目線の先に私の席はありました。目と目が合った(ような気がした)瞬間、気になっていた人物の名前が脳味噌の中で炸裂しました。「流川(るかわ)だ!」冷静で生意気そうなあの目、無造作な髪型。目の下にいる若者は名作『スラムダンク』(井上雄彦)に登場する「流川 楓」だったのです。それからはもう、バルトークには申し訳ないけれど、ピアノと格闘する彼の姿に見惚れて「音楽」のことは忘れていました。

 演奏が終わった後、力一杯拍手を送りました。バスケットの試合を見終わった後のような興奮を感じながら。いい歳をして何をしに行ったのやら。何を隠そう私は流川君の大ファンなのです。

 

 さて、文科省は「公立中学校の少人数学級化」について、教育再生実行会議からお墨付きをいただいたようですね。あとは財務省のお許しを待つばかりとなりました。近年、多くの自治体に義務教育学校が設置され、ここでは小中連続して9年間、同じ学校にいるわけですから、小学部で35人学級にしておいて、中学部では40人というわけにはいかないでしょう。35人でスタートした今年の小学1年生が中学生になる時に中学も35人学級にしなかったら保護者も納得しないでしょう。

 だから「楽勝じゃん」と言いたいところですが、ミナさんが指摘するように「少人数学級の中学校でどんな教育を実現するのか」という点について具体的な研究と実践を進めなくてはなりません。「少人数学級による指導効果のエビデンスを示せ」という財務省の指摘に応えることができなければ、実施が先延ばしになる可能性もあるかもしれませんから。

 というのも、T君が先日の学校参観の感想の中で触れていた「この授業だったら少人数でなくてもいいのでは」という指摘は財務省の言っていることと同じものだからです。機械的に集団のサイズを小さくしただけで、学習内容や生徒の習熟度に適応した集団構成や指導方法でなかったら学習効果は上がりません。財務省の思う壺です。役人が見たら「ほらね」っていうかも知れませんね。

 ところで、少人数学級になれば「論理的な文章を書くための基礎力を育てる」ことができるかというと「?」が点ります。少人数で手取り足取りして「論理的な文章の書き方」のレトリックを教えることはできるでしょうが、「考える」という基本的な学習習慣が身に付いていなかったら中身のある文章は書けないでしょう。

 大学の先生が「小学生低学年レベル」とか「日本語になっていない」と表現の稚拙さを指摘したくなる気持ちもわかりますが、ここは具体的に問題点を指摘し、学生との「やりとり」を繰り返して論理を整えさせ、思考を鍛えていくしかないのではありませんか。(流川命のイデちゃん)

 理不尽に対してNo!と言う力

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もう水羊羹の季節かあ(マツミナ)

 政府の教育再生実行会議が、公立中学校の少人数学級化を求める提言を固めているようです。読売新聞朝刊1面に掲載されていました(5月16日付)。すでに公立小学校では学級人数の上限を40人から35人へと段階的に減らしています。少人数学級の中学校でどんな教育を実現するのかはこれからの議論でしょう。ぜひお願いしたいのは、論理的な文章を書くための基礎力を育てていただきたいのです。

 もちろん、大学でも論理的な文章を書くための講座は開いています。けれども、18歳からではなく、もっと早い時点、理想的には小学校入学時から徐々にトレーニングをしてもらえれば、と願わずにはいられません。その機会に恵まれなかった学生たちが痛い思いをしているからです。

 学生たちから相談を受けてるのです。リポートや論文を出しても、学期末にアルファベットで評価されるだけ。何が評価されたのか、あるいは単位を取れなくても何が問題なのか、学生はわかっていません。

 

 先日、学生からこんな声が寄せられました。

 「リポートを出したら『小学生低学年レベル』とか『日本語になっていない』と返ってきた」。コメントをもらえるだけマシと考えるべきなのでしょうか。それにしてもひどいコメントです。「小学生低学年レベル」は何を意味しているのかさっぱりわかりません。抽象的な罵倒でしかないので、改善のヒントにすらなりません。

 学生は、リポートを出すのが怖いと感じながらも、「どうしたら上手く書けるのか」悩んでいます。ああ、もうじれったい。歯ぎしりしたくなります。もしこの学生に質問で切り込める力があったら、と。

 「先生、ご指摘の『小学生低学年レベル』とは、小学生のどの能力のことをおっしゃっているのでしょうか」

 「小学生といっても、多様です。いつの時代の、どこの地域の、どんな小学生のことでしょうか」

 「具体的には、どこをどう改善しろとご注意くださっているのでしょうか」…。

 

 「質問力を磨く(Class Q)」の学生たちには、常々「理不尽に対してNo!と言う力」を求めています。権力者であろうが、目上の相手であろうが、言うべきことは言う。タイミングを図り、その場にふさわしい表現力で、場合によっては仲間も集めて。その際には質問を使いなさい、とも。

 もし学生がそんなふうに質問できたら、先生もコメントの問題点に気づいたでしょう。こうして学生の小さな声が教員を動かしていったら、大学の空気も変わり、新しい学びの場になると期待しています。 

 というわけで、中学校の少人数学級では、論理的な文章を書く基礎力育成に取り組んでいただきたいと強く願っております。(マツミナ)

目のつけどころ

 

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鳩の巣の下の花畑。見とれていて、鳩を驚かしてしまった(イデちゃん)

 散歩の途中で山法師の木の枝に、鳩の巣を見つけました。まだ雛は小さいようで姿は見えません。私の気配を察知したらしく、親鳥がさーっと巣を離れ、木の上の方から警戒していました。驚かしてごめんなさいね。

 そういえば、近所のお宅の雨戸の戸袋の隙間から、小さな鳥が頻繁に出入りしているのを見ました。中で巣作りが進んでいることでしょう。そのうちに雛が顔を出すかもしれません。人間たちはコロナ禍の中で縮こまっているけれど、自然界は豊かに生きているようです。

 

 

 「考える先生」に向けて修業中の学生、T君は面白いところに目をつけたようです。

 5月も半ばを迎え、学校は新学期の慌ただしさが収まり、日常のリズムに戻りました。でも「小学生が着ているような服の1年生」は「授業準備が遅れがち」で、彼の目には1年生が幼く見えたことでしょう。それに対して「2年生は流行を取り入れている子が多く」「授業準備も素早い」と感じたようですが、先生たちの目にはどのように映っているのでしょうか。同じ光景を見ても、見る人の立場や経験、見る位置によって見え方が違います。どんなふうに見えているのか聞いてみるといいでしょう。

 もしかしたら「毎年、4月、5月頃の1年生はこんなものだ」と慣れた目で見ているかもしれません。それとも「今年の1年生はちょっと幼稚だな」なんて思っているかもしれませんよ。

 2学期、3学期にかけてどのように変わっていくか、成長・変化の過程をしっかり看取ってください。大学で学ぶ「児童心理」や「青年心理」の臨床版です。

 

 もう一つの「若手の先生の方が授業の工夫がなされていた。授業評価アンケートでも、若手の先生の方が評価は高かった。『3年目まで』と区切るべきではなく、授業評価の低い先生を指導すべきではないか」という疑問はなかなか手厳しい指摘です。

 「新任=未熟」といった見方は確かに観念的な部分があり、必ずしも新任教員の全てに当てはまるわけではありません。指摘の通り、長いこと現職であっても指導力に「?」がつく教員もいます。そういう場合はどうしたらいいのでしょうか。実はそういう場合はどうするかという仕組みは既にあるのですが、教えてあげません。あなただったらどうしますか。

 

 まだ、3回しか訪問していないのに、いろいろなことに目が向き始めました。疑問や驚きを大切にして、どんどん視野を広げてほしいと願っています。教育実習では得られない学びがたくさんあるはずです。(イデちゃん)

 

Critical thinking

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排水口を描く美大生。「見えないものを描きたかった」。すてき(マツミナ)

 「質問力を磨く(ClassQ)」の科目名は、英語版シラバスだと「Critical thinking」と表記されています。日本語の新聞を教材に日本語で進めている授業なので、わざわざ口にすることはありません。ただ時折、その意味をかみしめています。

 一般的に「批判的思考」と訳されているこの言葉を、学生たちには「全てを疑う」「思考を止めない」と説明しています。「批判」と聞くと、学生たちは身構えてしまうからです。「アラ探し」「戦闘モード」に変換してしまう学生もいます。そこでこう付け加えています。頭の中で「?」を出し続け、目の前の新聞も、私の話も含め、全てを疑いなさい、と。その過程で、きっと「ないものが見えてくるはずだ」とも伝えています。

 これは新聞記者として駆け出しの頃、たたきこまれた思考です。「社会の問題点を探せ」「制度の隠れた欠陥を見つけろ」「声なき声を拾え」……。それが新聞記者の使命だ、とずいぶん言われました。もちろん「Critical thinking」なんてしゃれた言葉は使われていませんでした。

 

 今日もZoomでClass Qを開きました。教材には、エア・ドゥとソラシドエアが経営統合を検討していると報じている記事を使いました。1面と経済面とで大々的に展開されています。

 記事を読んだ学生たちに尋ねました。「この記事にないものは何か」と。一人の学生が答えました。「社員の視点です」。記事には、コロナ禍で両社とも経営が悪化していることや計画の概要、業界に与える影響は書かれていました。けれども社員として最も気になる、待遇や働き方がどう変わるのかが書かれていないと気づいたのです。Class Qで学んで4年目になる学生です。

 

 「考える先生」を目指す学生も、毎週通う中学校で「ないもの」をあぶり出そうとしています。昨日提出してきたリフレクションシートでは「生徒の成長」に着目していました。授業前にどのように準備しているか、私語、服装、授業中の様子、休み時間の過ごし方の五つの観点から、1年生と2年生を比較し、表まで作っていました。例えば授業準備だと、1年生は「遅れがち」、2年生は「素早い」。服装については「小学生が来ているような服の1年生」に対して「2年生は流行を取り入れている子が多かった」と描写していました。1年から2年への成長の過程で、何がこうした変化をもたらすのか、必死に考えているようでした。

 目は生徒だけでなく、先生に対しても向けられていました。たまたま学校訪問に来ていた自治体の指導教諭から「(教員になってから)3年目の先生まで指導する」と聞かされたそうです。学生はこの制度の問題点がこう見えたようです。

 「若手の先生の方が授業の工夫がなされていた。授業評価アンケートでも、若手の先生の方が評価は高かった。『3年目まで』と区切るべきではなく、授業評価の低い先生を指導すべきではないか」。制度に慣れている方々には見えないものが見え始めてきたのだとしたら。ますます面白くなりそうです。(マツミナ)