idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

オレは悪くない

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秋の香り。鼻で見つけた銀木犀(マツミナ)

 

 菅首相が再選を目指して総裁選出馬を表明しました。全力で応援していた横浜市長選の候補者が惨敗しても知らん顔です。強気、大事ですね。コメントもふるっていました。

 

 「時期が来れば出馬させていただくことは当然だという趣旨の話をさせていただいた。その考え方に変わりはない」

 

 総裁選に出るのは当然だよ、だってオレは悪くないもん。……そうですか。

 

 このコメントを読んだときに、ふと高大接続改革の失敗で、大学入試センターが5億8900万円の損賠賠償を民間業者に支払っていたことを思い出しました。

 

 「今年1月の大学入学共通テストで英語民間検定試験と記述式問題の導入が見送られたことに伴い、大学入試センターが、採点業務などの実務を担う予定だった事業者らに損失補償や損害賠償として、計約5億8900万円を支払っていたことが29日、分かった。

 センターによると、約10億円あった積立金から支出し、国からの補塡は受けていない。センターの収入の大半は受験生の検定料だが、『値上げなどの影響が直ちに出るわけではない』と説明している」(共同、2021年6月29日)

 

 人ですから、失敗はつきものです。問題が起きたら、その辺にあるお金をぶち込んで、知らんぷり。センターが主導していたわけではないけれど、どうでもいいこと。もちろん大臣も謝らなくていいし、センターが左前になったら、検定料を値上げしちゃえばいいんですよ。だって、日本は「オレは悪くない」が許される国ですから。

 

 「悪いことをしたら、ちゃんとあやまるんだよ。ごめんなさいって」

 子どもの頃、親や先生によく言われたものです。もうこれは死語ですかね。(マツミナ)

「感染プログラム」にしないために 

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しめて5650円也(イデちゃん)

 

 玄関のドアを塗りました。材料費は防腐塗料(水性・マホガニー)1050円、塗装用刷毛420円、下地調整用サンドペーパー180円で、合計1650円です。買い物時間を含めた全作業時間は4時間、時給1,000円として日当は4,000円になります。合計5,650円のお仕事を専門の塗装業者に頼んだらおいくらになるのでしょうか。材料費持ち出しで、私の報酬は、ビール一本とカミさんの作ったゴーヤチャンプルでした。 

 

 東京パラリンピックの観戦機会を児童生徒に提供する「学校連携観戦プログラム」の実施をめぐって、東京都教育委員会や小中高等の学校現場で混乱が起きているようです。勧進元の一つである小池東京都知事の「ぜひ見せてやりたい」という思いを忖度した(?)藤田教育長は18日の臨時教育委員会で、本人や保護者の意向を尊重した上で実施する方針であると報告しました。

報道によれば、これに対して出席した教育委員4人から反対意見が出されたが、「議決を要しない報告事項」なので改めて審議はしなかったということです。新聞には「4人の教育委員が反対しているのにも関わらず、報告通り実施するのはおかしい」といった指摘が多く見られました。

 

 ところで、わからないことが一つあります。東京都教育委員会は教育長の「実施する」という報告を了承したのでしょうか。4人の委員は実施に反対し、報告も了承しないと言ったのでしょうか。それとも、4人の委員から反対意見が出されたものの、報告は了承されたということなのでしょうか。そこのところがちゃんと書かれた記事は見当たりませんでした。現場が知りたいのはそこにあると思うのですが。

 

 東京都だけでも12万人余の児童生徒が観戦を希望しているようです。せっかくの観戦機会が感染機会にならないことを祈ります。(イデちゃん)

やめときゃよかった

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二重の虹。何かいいことありそう(マツミナ)

 この暑い中、玄関のドアの塗り直しをしようと思うとは、さすがです。しかも、想定通りに作業ができなくても再挑戦を期すとは。勤勉な人はやっぱり前向きだなあ、と頭の下がる思いです。

 私は朝から後ろ向きです。「やめときゃよかった」思いでいっぱいでした。本の断捨離なんて、やめときゃよかった。

 時々、拙宅の本棚を整理します。一室の壁が本で埋め尽くされています。そこに床にまで積み上がった状態にまでなると、床が抜ける危険性があるからです。

 このあいだの断捨離で、八木重吉の詩集を手放してしまったようです。全集があったはずなのに、どこを探してもない。仕方なく書店に行きました。カウンターで尋ねると、私と同年代と思しき店員さんから「ヤギジュウキチ? ここに書いてもらえますか」と言われてガッカリ。その一言も、後悔に拍車をかけていました。そうか、八木重吉はもう忘れられた詩人になっているのか…。

 思えば、本の断捨離では毎回後悔しています。最近でも「孤狼の血」「慈雨」(柚月裕子)がないことに気づきました。断捨離する際には、本棚から全ての本を引っ張り出して、「これはいる」「これはもういい」と仕分けをします。最初は丁寧に見ているけれど、そのうち面倒になり、最終的には適当に段ボール箱に詰めこんでいくために、娘たちの本まで手を出してしまったこともあります。当然、娘たちに「書い直して」と迫られます。ごもっともです。「No.6」(あさのあつこ)、「め組の大吾」(曽田正人)…。全冊買い直した際にも、思いました。

 やめときゃよかった。

 

 本日(8月22日)は横浜市長選挙の投開票日でした。事前の予想通りの結果のようです。立憲民主党推薦の新人が当選確実とか。保守を分裂させ、共倒れの結果となったことを、首相はどう受け止めているでしょう。世論の反対を押し切って緊急事態宣言の最中にオリンピックを強行し、感染を拡大させたことを後悔しているでしょうか。何かを「やめときゃよかった」と思っているでしょうか。(マツミナ)

再挑戦ならず

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富士山暮色(イデちゃん)

   玄関のドアが長いこと陽に晒されて色褪せてきたので塗り替えることにしました。涼しいうちにやってしまおうと、勇んで早朝から取り掛かったのですが、思ったより劣化がひどく下地を整える必要があることがわかりました。先日買っておいた塗料の缶の蓋を開けたものの、これでは先に進めません。せっかく思いたって始めたのに初っ端から目算違いになってしまいました。

 諦めきれないので枠の部分だけでも塗ろうとしたのですが、塗料の色が思ったものと少し違います。ということで今日は止める事にしました。近くのD I Yに行って塗料と防腐剤とサンドペーパーを調達し、明日再挑戦します。

 

 今年の高校野球甲子園大会は序盤から雨の日が続き、試合の延期や打ち切りが相次ぎました。17日に行われた大阪桐蔭(大阪)と東海大菅生西東京)の1回戦は雨の中で行われました。次第に雨がひどくなり、バットが打者の手からすっぽ抜けて相手ベンチ前に飛んだり、審判が泥に足をとられて転倒したりしました。ついには打球が野手の前で止まってしまうような状態になり、約30分間の中断の後、降雨コールドとなりました。

   試合が中断されたのは八回表。東海大菅生の攻撃で1死一、二塁という場面。菅生にしてみれば、「さあこれから」と気合いが入った時でした。

  高校野球の規則では七回終了で試合は成立するのだそうです。七回表で中断していれば再試合になるところでしたが、こちらは再挑戦というわけにはいきませんでした。審判の試合成立宣言を選手たちどんな思いで聞いたのでしょうか。(イデちゃん)

 

霞ヶ関文学

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至福のひととき(マツミナ)

 今日は朝から、役所関係の会議や打ち合わせが続きました。

 毎回、うんざりするのは、そこで示される文書です。霞ヶ関文学とも呼ばれる独特の文体で、やたらと一文が長く、カタカナが妙に多い。ガバナンス、イノベーション・エコシステム、コンプライアンスフィージビリティー…。本当に読ませる気があるのだろうか。だんだん頭がしびれてきます。目もなんだかチカチカしてきて。霞ヶ関文学の狙いは、これか?

 

 霞ヶ関ムラの皆さんもそれぞれ個性があって、会ってみると、熱い思いのある人だったり、思慮深い人だったりします。ところが文章を書くと、なぜだか一様に妙な文章を書いてきます。学生の論文だったら、書き直しを指示するところだ、と心の中で舌打ちしながらも、必死に読み、論点を整理していました。せっかくなら多くの人に読んでほしいし、関心を持ってもらいたい。

 その一方で、頭に浮かんでいたのは八木重吉の詩。正確な表現も題名も思い出せないし、当然のごとく手元に詩集もない。

 

 あれもならずこれもならずと思うから

 今夜は食べ物のことばかり考えようとする

 食べ物は悲しき避難所である

 

 そうだよ、食べ物だ。終わるや否や、緊急事態宣言中ではあるけれど、近くのカフェへ。マンゴーパフェで一息つきました。

 本日はこれにて終了です。(マツミナ)

馬脚を現す

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秋到来(イデちゃん)

 メンタリストと称して、人の心を読み取ることをウリにしていたユーチューバーのDさんが「カミングアウト」してしまいました。本人のユーチューブで「生活保護の人たちに食わせる金があるんだったら、猫を救ってほしいと僕は思う」とか「自分にとって必要もない命は軽い。だからホームレスの命はどうでもいい。正直、邪魔だし、プラスにならない」などと発言し、各方面から批判が殺到していました。

 心理学もどきの知識とマジックのテクニックを駆使した巧みなパフォーマンスは見る人を驚かせ、彼のユーチューブのフォロアーは200万人を超えるそうです。もっとも、心理学の専門家に言わせれば、彼は心理学者と言えるような代物ではないようですが。そんなDさんが「無知が招いた失態」と自分の「無知さ加減」を白状したのです。

 

 こういうのは「カミングアウト」というより「馬脚を現す」と言った方がふさわしいかもしれません。それはともかく、メンタリストのユーチューバーは「薄っぺらな物知り」に過ぎなかったということがバレました。寄せ集めの知識や情報をつぎはぎし、心理学用語を操ってもっともらしく解説していましたが、「人間の尊厳」とか「生きることの意味」「学ぶ目的」とか「科学の役割」など、学問をする上で一番大切な部分を理解していなかったようです。

 案の定、謝罪と称した続編では「差別的であるし、これは反省だなということで謝罪させていただきます。大変申し訳ございませんでした」などと、他人事のような反省ぶりで、知性も品性もない姿を晒しています。まさに「無知が招いた失態」です。

 

 子供の頃、バカな真似や思慮の浅いことをすると、「それくらいのこと、考えればすぐわかることでしょ」と母に叱られたものです。大人になってからも「まったく、いい歳をして、何を考えているのか」とたしなめられたがありました。

 そうなのです。言われなくても「それくらいのこと」は誰だってわかっているはずなのです。それでも人間は愚かな生き物ですから「考えなし」(母がよく使っていた言葉で、物事の意味や意義をよく考えないこと)で軽薄な行動をすることがあるのです。

 残念ながらDさんは「それくらいのこと」すら、わかっていなかったようです。

 

 そろそろ夏休みが終わり、「考える先生」を育てるプロジェクトも2学期が始まります。9月の初めには中学校を参観しているT君の中間報告会があります。T君の考える「考える先生」像が見えてくるでしょうか。楽しみです。(イデちゃん)

カミングアウト

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雲龍か、京観世か。どちらも美味しい(マツミナ)

 8月17日に東京パラリンピックに臨む日本選手団の結団式が開かれたそうです。本日の読売新聞はその写真を1面の中心に据えていました。緊急事態宣言が13都府県に広がる中でも、開くのですね。感染拡大を抑えるために無観客が原則だけれど、学校連携観戦プログラムについては学校現場の責任で。「お為ごかし」(8月17日)どころか、意味不明です。感染拡大を抑えるという意味では人流の抑制が重要のはず。学校から来る生徒や先生たちは「人」ではないと考えたのでしょうか。

 

 無責任で、歴史的な愚行として記憶されるかもしれないオリンピック・パラリンピックですが、たった一つだけ評価している部分があります。性的少数者に光を当てたことです。自らが性的少数者であることをカミングアウトする選手が相次ぎました。元男性の女性選手が競技にも出ていました。

 

 かつて授業中に突然、カミングアウトした学生がいました。外見は女性だけれど、物心ついた時から自分を女性だと認識できない、好きになるのは女性だと話していました。それをクラスの全員の前で話し始めたのです。その時に選んだ記事は、ある女子大学が入試で性的少数者に配慮すると発表した記事でした。それを性的少数者になりきって考える、としたのが引き金になったのかもしれません。

 他の学生約30人は、真剣そのものの表情で耳を傾けていました。静かな教室で聞こえるのは、カミングアウトした学生の声だけです。ありがとう、よく話してくれたね、と伝えると緊張した顔がほぐれ、笑顔を見せてくれたことが印象に残っています。とても苦しかったのだな、と胸に迫るものがありました。

 

 「らしさ」を求める社会は、とても息苦しいです。親から言われたことはないけれど、社会人になってからは随分「女らしさ」だの、「女性らしい美しさ」「やさしさ」「やわらかさ」だのを求められてきました。逆さに振っても、私からそんなものは出てこないのにな。型にはめられることのない、自分のままでいい社会をつくるきっかけになればいい、と願っています。(マツミナ)

教育的お為ごかし

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あきあかねとにらめっこ(イデちゃん)

  タリバンアフガニスタンの首都を制圧したというニュースが、信じられない光景を伝えていた。走り始めた列車に飛び乗ったり、岸壁を離れようとする船に飛び移ったりする映像は何度か見たことがあるが、滑走を始めた飛行機に人が群がっている光景は初めてだ。大型軍用機にたくさんの人が取りついている。翼につかまって脱出しようと思ったのだろうか。まさか、そんな馬鹿なことをと誰もが思うだろう。タリバンが支配する国には絶対居たくないという強い恐怖心が、あの人たちを飛び立とうとする飛行機につかまらせたのだろうか。残るも地獄、出るも地獄。酷い話だ……。

 

 東京五輪パラリンピック大会組織委員会は16日、新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、24日に開幕するパラリンピックを原則無観客で開催することを決めました。児童や生徒に観戦してもらう「学校連携観戦プログラム」は、共生社会実現に向けた教育的要素が大きいことを理由に保護者等の意向を踏まえ、自治体や学校設置者が希望する場合に実施できることにしたと説明しています。「児童や生徒に観戦してもらう」と言っていますがこういうのを「教育的お為ごかし」というのです。

 

 本当は無観客にしたいところですが、パラリンピック教育的意義が大きいから観戦できるようにしました。ただし、新型コロナ感染者が出ても責任は持ちません。見に行ってもいいいと言っただけで、行けとは言っていませんよ。行くか行かないかは、しっかり自治体や学校で判断しくださいね。「不要不急であるかということは、しっかり本人が判断すべきものだ」と教えてあげたでしょ、と誰かさんが言いそうですね。

 

 本当に子供のことや教育的意義を考えたら、「コロナの感染者が増えているから無理して会場まで行かないで、学校や自宅でテレビ観戦してください」という話でしょ。判断を現場に丸投げにして責任を回避してはいけません。(イデちゃん)

地獄絵図

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カラスウリ花言葉の一つは「誠実」(マツミナ)

 テレビから流れ出てきた言葉が耳にこびりついています。「地獄絵図」。8月16日夜7時のNHKニュースで、東京都世田谷区の開業医が語っていました。

 

 「これからが本当の地獄絵図のようになっていく」

 

 東京都のコロナ感染拡大が止まりません。重症患者数も過去最多を更新中です。重症患者が入院を断られ、自宅で療養せざるを得ない状況です。医師が人工呼吸器の手配をしようとしても、医療機器メーカーから断られているそうです。こうした実態がどんどん広がっていく恐ろしい事態です。

 アフガニスタンでも地獄絵図が広がっています。16日夕刊のトップは、読売、日経とも「アフガン政権崩壊」。トップ記事には、大統領府を占拠した、イスラム原理主義勢力タリバンが銃を構えてこちらをにらみつけています。アフガニスタンのガニ大統領は国外逃亡したそうです。「テロの温床」になるかもしれません。

 

 地獄絵図に通底するのは「無責任」かもしれません。専門家の諫言も、世論の反発も聞かず、「自宅で応援してください」と五輪を強行した首相しかり。国民や閣僚に先んじて国外逃亡しておいて、「流血の事態を避けるためだった」とFacebookに書き込んだガニ大統領はどうでしょう。米軍撤収を始め、治安維持を政府軍に委ねていたバイデン政権は「前政権からの既定路線だった」と言い張るでしょうか。

 

 「どうして、こうも私たちの国の偉い人たちは無責任なのでしょうか」(815日)とイデちゃんは嘆いています。大丈夫、日本のエライ人だけではないですよ。もちろん嬉しくもないし、気持ちも晴れませんが。(マツミナ) 

責任と無責任は一字違い

 

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大雨で千曲川が溢水(イデちゃん)

 「宰相の品格」(813日)の続きです。極東国際軍事裁判で絞首刑の判決を受けた広田弘毅裁判の過程で一切の自己弁護を行わなかったと書きましたが、裁判の後半、広田内閣当時制定された「国策の基準」について責任を追求された広田は担当弁護士から反証するよう強く促されます。その時の広田の姿勢を城山三郎は次のように描いています。

「(国策の基準を)陸軍で起案しようが、だれが起案しようが、私は総理大臣として、あの国策を決定しました。全責任は、わたしにあります」(「落日燃ゆ」)

 

 そういえば以前、総理大臣をしていたAさんが沢山の支持者を花見に呼んだことが問題になったことがありました。升酒を片手に「みなさんようこそ、今日は大いに楽しんでください」と得意満面でしたが、「ところで花見の代金は誰が払ったの」とお金の出どころを追求されると「後援会がむにゃむにゃ、秘書がムニャムニャ」と歯切れが悪くなりました。最近になって検察審査会から特捜部の調べ方が十分でないと指摘され、もう一度調べ直すことになりました。Aさんは、また「あれは秘書がやったこと」と言い張るのでしょうか。

 「後援会が計画しようが、秘書が支払おうが、私は総理大臣として、あの花見に支持者を呼びました。全責任は、わたしにあります」とは言わないでしょうね。

 

 五輪閉幕後にIOC会長が「銀ぶら」していたことについて、オリンピック担当の大臣が「不要不急であるかということは、しっかり本人が判断すべきものだ」と言ったとか言わないとか。本当は「私の知ったことではありません」と言いたかったのでしょうね。どうして、こうも私たちの国の偉い人たちは無責任なのでしょうか。もしかしたら「責任」も「無責任」も大した違いはないとでも思っているのでしょうか。一字違いでも大きな違いです。

 

 落として折ったキュウリに責任を果たした2人(8月14日)の「爪の垢」を煎じて飲ませてやろうかな。(イデちゃん)

 

野菜売り場で

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石榴がこんなに育っていました(マツミナ)

 毎年8月15日が近づくと、なぜだか茨木のり子の詩集を開いています。今日はこの詩にひきつけられました。

 

 「分別ざかりの大人たち/ゆめ 思うな/われわれの手にあまることどもは/孫子の代が切りひらいてくれるだろうなどと/今解決できなかったことは くりかえされる/より悪質に より深く 広く/これは厳たる法則のようだ」(『くりかえしのうた』より)

 

 コロナの新規感染者は増える一方。そこに大雨で川が氾濫し、土砂崩れまで起きている状態です。天災はともかく、せめて専門家の諫言を聞き、世論に耳を傾けて、オリンピックをやめていたら、コロナ禍もここまでにはならなかったのでは、と思わずにはいられません。今の大人は大馬鹿だけれど、孫子の代になったらちっとはマシになるなどとゆめ思うな、と詩は厳しくうたっています。

 

 でも、そうでもないかもよと思える、すてきな場面に出会いました。今日、買い物に出かけた野菜売り場でのことです。

 前を行く若い男女に、ちょっと年上の女性が話しかけました。手にはビニール袋に入ったキュウリを手にしています。

 

 「このキュウリ、あなたたちが今、その買い物カゴで引っ掛けて落としましたよ。ほら、もう折れてしまっています。買ってあげないと」

 

 これがまた実にすてきな笑顔なのです。言葉のかけ方も押し付けがましくなく、嫌味っぽくもない。

 男性は折れたキュウリを手にして「ああ、本当だ」。連れの女の人も「買わないとね。ちょっと高いけどね」と納得した様子です。折れたキュウリは、2人の買い物カゴにちんまりとおさまりました。

 

 人に注意するのは難しい。それを聞き入れるのもまた難しい。さらりとやってのけた3人に拍手でした。(マツミナ)

宰相の品格

 

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夏その2(イデちゃん)

 読みっぱなしで積んでおいた本を引っ張り出しては読み直しています。第32代総理大臣を務め、東京裁判で戦争責任を問われ広田弘毅の生涯を描いた小説「落日燃ゆ」(城山三郎・新潮社)を読みました。広田は裁判で絞首刑の判決を受けた7人の中で唯一人の文官でした。裁判の過程で一切の自己弁護を行わなかったそうです。

 この本は一国の宰相たるものに求められる「知性・品性」とはどんなものかということを知ることができます。小説ですから、書かれていること全てが真実かどうかを知るためには他の資料も読み比べる必要がありますが、それでも城山の描く広田の生き方には改めて共感することが多くありました。

 

 知性は生き方に反映され品性となって表出します。品性に裏打ちされない知性はただの「物知り」に過ぎず、知性と品性が融合して品格に昇華するのではないか。広田の生き方にはそんな気持ちにさせるものがあります。敵対する相手国の駐日大使や極東担当からも信頼されるほどの高潔な品格は国内の反対勢力からも一目置かれ、「落日燃ゆ」にはそんなエピソードが度々登場します。

 

 2.26事件直後、組閣を命じられた広田が抵抗する軍部を相手にやり取りする場面を城山はこんなふうに書いています。

「しばらくして寺内から電話があった。『今から特使に持たせてやる一文に賛成してくれるなら、明日の組閣に賛成する』」。特使が持参した声明文なるものはお粗末なものだったので、広田は「その声明文に手を入れて、寺内*に届けさせ、ようやく話がついた」

(*寺内寿一大将・陸軍大臣候補)

 さりげなく書かれていますが、軍部の権勢を背景に広田の組閣案に難癖をつける声明文に「手を入れ」て、体裁を整えて返してやるなどという芸当は、当時の世相を考えれば余程の度胸がなければできることではありません。それこそ宰相に求められる品格というものでしょう。

 

 それに比べ、昨今の宰相の言動は言い訳や言い換え、挙げ句の果ての「読み忘れ」まであってお粗末の極みです。品格はもとより知性も品性も感じられません。広田弘毅の全てを無批判に肯定するものではありませんが、夏休みにお読みになることをお勧めいたします。せっかく書いてもらったご挨拶を読まずに飛ばしちゃったスーちゃんも、しろやぎさんからきたお便りを読まずに食べちゃったくろやぎさんも、ちゃんと読まなくてはダメですよ。(イデちゃん)

 

原稿を読み飛ばしたSくんは、自らあいさつ文を書く人になるか

 

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スピーチの前にはスイーツ(マツミナ)

 広島で平和記念式典であいさつ原稿を読み飛ばした人が、もし「質問力を磨く(Class Q)」に来たら……。昨日のイデちゃんの記述を見て以来、ひとり想像しては笑っています。

 

 仮にSくんとでもしておきましょうか。読み飛ばした部分は、「我が国は核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、核兵器のない世界の実現に向けた努力を着実に積み重ねていく」と書かれた、原稿の肝の部分です。それを読み飛ばしてしまったのは、Sくん自身がなんのために広島に来たのか、ここで何を言わなくてはいけないのか、そもそも自分は何者か、をしっかり自覚していなかったからでしょう。学生に置き換えてみると、「なぜ自分はこの大学に来たか」「ここで何をすべきか」に当たるでしょう。この自覚ができないと、ちょっとしたつまずきが致命傷になりかねない。つまり退学の引き金になりやすいのです。そういった実例をずいぶん見てきました。

 

 でも、Sくんは心配しなくても大丈夫です。そういう学生であっても、Class Qの学生たちとの切磋琢磨できっと大化けしますよ。Class Qの学生は、あえて過酷な授業を取りに来るチャレンジャーぞろいです。今も夏休みを返上して、企業にインターンシップに出かけ、最終課題で書いた自らの論文を検証しています。

 今日はある学生から電話で相談がありました。「◯▲社のインターンシップにはプログラミングもあるみたいなんです。私はプログラミングなんてわからないんですが、迷惑じゃないでしょうか」。企業の方は、あなたが未経験者であることを知って声をかけてくれるんだから、行ってらっしゃいよと助言しました。

 この学生は春学期の単位を落としました。

 「単位が目的でClass Qに来ているんじゃない。バカな自分を何とかしたい」

そう話していました。

 どうです、Class Qの学生、すてきでしょう。

 別の学生たちは、どういう工夫をしたらみんなが自主的に社説の視写などに取り組むかを考えています。これまで私がしてきた工夫には問題があると厳しく指摘してくれました。学生と同じ目線で、自ら学ぶ、学ぶ意味を考える、成長を実感できる、そんな工夫や仕掛けを提言してくれるはずです。

 

 最初から学ぶ意欲のある学生はそうはいません。でも好奇心を持てば、社会の問題を次々に見つけ、仲間と議論を重ねながらその解決の糸口をつかめるようになるはずです。そうしたら、あいさつ原稿なんかは自分で簡単に書けるようになり、読み飛ばしなんかなくなりますよ。

 Sくん、Class Qに来て、学生と一緒に新聞を読むことから始めませんか。(マツミナ)

手が記憶する

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夏(イデちゃん)

 「劇作家の井上ひさしさんは手書き派だった。読みやすく、親しみやすい万年筆の文字を思い出すファンもいらっしゃるだろう。手書きにこだわったのはゲーテのある言葉を信じていたからだそうだ。『手が記憶する』。ワープロなどを使った場合、内容を十分に理解しないまま、作業として書いてしまい、結果、内容もまた忘れやすくなるが、これに対し『手書きだと何かが残るのです』」(8月10日付東京新聞「洗筆」)

 広島で行われた平和式典のあいさつで肝心な部分を読み飛ばした方にぜひ読んでいただきたい話です。ワープロどころか自分の手で書いたわけでもない挨拶文では尚更です。「手」はもちろん「頭」も記憶していないでしょうから。

 

 同じことをミナさんが以前から指摘していました。学生に社説を書き写させ、手書きの論文を課し、書いた文章を読み直し推敲を徹底させるなどの指導は、まさに「手が記憶する」まで書くことを求めたのだと思います。書いては消し、消しては書く。読み直してまた書き直す。もう一度調べて考える。考え直して書き直す。「手が記憶する」ということはこうした繰り返しによってもたらされるものなのですね。

 一番大切な部分を読み飛ばしても気付かなかった誰かさんにもClass Qを受講されることをお勧めします。

 

 余談ですが、エマヌエル・カントが「手は外部の脳である」と言ったという話を聞いたことがあります。実際にカントの言葉を書いた本を読んだわけではありませんが。

ま、それはそれとして、「新旧のiPadを近づけただけで、勝手にデータが移っていったのです」というミナさんの驚きを読んで、映画「E.T」でエリオット少年とE.Tが指と指とを近づけることによって心を通わせた場面を思い出しました。似ていませんか。カントもスピルバーグもどうやら「脳」は指先にあることを見抜いていたようですね。なんちゃって。(イデちゃん)

ボタンを押すだけ

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ケーキの上の愉快な顔(マツミナ)

 iPadをやっと買い替えました。そろそろ買い替えの時期だとわかってはいながら、決断を先延ばしにしてきました。半年ぐらいは我慢したでしょうか。その間に誤作動の回数が増え、バッテリーの減りもどんどん速くなっていきました。それでも耐えました。ただただ、買い替えによって生じる、データの移し替えという面倒を避けたかったからです。

 結論からいうと、それは全くの杞憂でした。新旧のiPadを近づけただけで、勝手にデータが移っていったのです。こちらは画面に表示されている残り時間をぼんやりと眺めていただけ。私のようなものぐさなユーザーがいることを想定して、メーカーがどんどん賢い機械を開発してくれたおかげです。嬉しい反面、考えてしまいました。こういう賢い機械に囲まれて、私たちはどうなっていくのだろう。

 

 ボタンを押す手に、指が1本しかついていなかった――。

 

 ショートショートの名手、星新一の「ボタン星からの贈り物」の一文を思い出しました。

 果物野菜皮むき器、自動ネクタイ結び器、缶詰を開けたり、ビールの栓を抜いたりする装置、魚の骨をとってくれる装置、食物を口まで運んでくれる装置、服のボタンをかけ、外してくれる装置、乗るだけで目的地へ行ってくれる自動車…。全ては、ボタン一つでOK。つまりボタンを押す指が1本あれば用が足りることになる世界が実現したのです。

 こうした便利な装置は、どれも宇宙人からの贈り物でした。宇宙人は地球の占領を狙っていたのです。地球人は便利な装置の作り方を教えてくれる宇宙人を疑いもせず、とうとう宇宙人を大量に受け入れる装置まで組み立ててしまうのです。 

 

 作品が書かれたのは昭和37、8年ごろ。先の東京五輪の前夜も、日本人は便利な生活を夢見ていました。半世紀以上がたち、2度目の東京五輪が終わった今も変わらぬ傾向かもしれません。

 便利さを追い求める中で、疑い、考えることを忘れていないだろうか。首をひねりながら、データの移行を難なくやってのけるiPadのキーボードを叩いています。(マツミナ)